ムガル帝国の財政規模

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 フランス人思想家フランソワ・ベルニエ(1620-88年)の、ムガル帝国旅行時の旅行記(1684年出版)に、当時のムガル帝国の財政収入の数値が記載されていました。そこで、ムガル帝国の財政規模を円換算してみました。今回も、数字のお遊びです。以下の数値は、岩波文庫版下巻p305-310の記載をもとに作成したものです。



 スーパは、地方政庁が置かれているところのようです。当時の地方行政区画の正式名である可能性はありますが、ベルニエはそのように書いていないので、ベルニエが見聞した一般的な名称地方かも知れません。サルカールとは各スーパの中にある、王室金庫の数で、税務署のようなものだと考えれば理解しやすいのではないかと思います。パルガナとは主要な都市は町、村のこと。スーパがサルカールに区分され、各サルカールがパルガナに区分されているのかどうかは本書からは不明。



スーパ

税額

サルカールパルガナ
デリー19520516230
アーグラ2522.514260
ラホール2469.514314
アジメール2197  
グジャラート1339.59190
カンダハール199.25 15
マールワ916.259190
パトナ9588245
アラハーバード94717260
アワド6835149
ムルターン1184.05496
ジャンガナート7271112
カシミール35545
カーブル327.2535

タッタ232454
アウランガーバード1722.75879
ベラール1587.520191
カンデーシュ18553103
テレンガナ688.5 43
バーグラーン5028
合計

215846.051842484





 合計21億5846億ルピーです。同巻p305に1ルピー=30ソル(当時のフランス通貨)あり、以前、サファヴィー朝の財政規模を算出した時の暫定値では、16ソル=2778円としました(こちらの記事)。第一巻p284に、「歩兵の給料は最低です」と、歩兵の給料の低さを指定し、月給10、15、20ルピーと記載されています。平均を15ルピーとすると、年間180ルピーです。これを100万円相当と仮定します。すると、1ルピー=5555円となります。サファヴィー朝の記事で採用した16ソル=2778円は、15ソル2604円となりますから、30ソル=5208.75円となり、5555円と近い値になります。



 取りあえず1ルピー5555円として財政収入を計算すると、約11,990,245,300,000円となります。約12兆円です。この値が妥当かどうか。



 人口500万-1000万程度のサファヴィー朝の財政規模は、700億から1200億円程度でした。1200億円で500万という、サファヴィー朝の一人当たりGDPの平均値がもっとも高くなる値を採用した場合、インドの人口はこの頃1.5億その推計(諸説あり。詳細はこちらの記事)がありますが、大目に出している推計でも、ムガル帝国のみの領土だと1億程度にしかなりません。サファヴィー朝人口の20倍です。人口比を財政規模に適用すると、1200億円の20倍で、2兆4000億円にしかなりません。ムガル帝国の12兆とは、約五倍の規模です。一人当たりのGDPとしては少し違いすぎです。



 一方、同時代(より少し前)の最盛期明王朝と比べた場合はどうなるでしょうか(明王朝の財政規模の記事はこちら)。1602年の歳入は、2兆1882億3529万円です。当時税額は、人口6000万人という「公式値」での収入ですので、人口推計値1億5000万に比例した財政収入を仮定すると、2.5倍の税収となり、4兆3765億円相当のキャパシティがある、といえます。それでもムガル帝国の12兆は明王朝の2.75倍に達します。ムガル帝国の人口を大目の1.5億と仮定すれば、一人当たりGDPは明王朝の2.75倍ですが、比較的ありえそうな1億と仮定すれば、4.11倍になります。



 というわけで、いくらなんでも違いすぎるので、どこかの変数の仮定が大きく間違っている可能性がある、としか思えない結果となりましたが、重要な点は、一人当たりに換算した場合の値(オーダー)が、1/10とか、10倍とかにはならず、2.5-5倍程度に収まる、ということです(もっとも、サファヴィー朝の人口を1000万と想定すると10倍になる)。財政収入値から計算しても、オーダー違いとなるほど離れた値となるわけではなさそうだ、ということがわかっただけでも一歩前進です。



 また、サファヴィー朝と明王朝との比較でも、一人当たり5倍程度の数値が出ているということは、財政収入は、単に人口に比例しているというだけではなく、鉱物資源や織物産業や商業などの富が、インドは本当にサファヴィー朝や明王朝の5倍くらいあったのかも知れません。



 ムガル帝国時代の史跡を見ても、同時代のヨーロッパがインドの宮殿もまねをして壮大な宮殿を建てるようになったのではないかと思わされるほど大規模なものが多く、古代ローマの時代からベルニエの時代まで、ヨーロッパからの旅行者が、インドの富について言及しているところとも、数値的結果は変わりません。こういうところも、大航海時代のヨーロッパ人がインドを目指した背景なのではないか、と思いました。



 もっとも、インド人自身が過大な数値統計を出していて、ベルニエはその数値を鵜呑みにしただけ、という可能性はあります。これらは、別の史料に登場する数値情報による推計値と付け合せることで補正することができるので、今後も17世紀のムガル帝国の数値情報を集めたいと思います。



また、地方財政と中央財政の区別も国や時代により異なります。明朝の場合は、中央財政だけ見ていれば、明初の6000万人の人口でほぼ税額が固定されていて、人口1.5億となる頃には、相対的に小さい政府となっているといえますが、これは中央政府の財政収入だけの話であって、州・県・村など地方政府内での運営にとどまる税額や、そのうちの多くを占めた賄賂や役得的なものは入っていません。これに対して、ムガル帝国の場合は、ベルニエが主要な村の数まで挙げているように、かなり末端行政区の歳入も中央政府財政として把握されていた可能性もあります。ベルニエの列挙する財政収入のうちにどれだけが中央政府財政として運営されたか、など、比較のポイントを各国で揃えなければならない、という点も重要です。



 個人的に可能性が高そうだと思えるのは最後の点で、ベルニエが列挙している財政収入値は、誇張もあるかも知れませんが、誇張の要素よりも、地方財政分の多くを含んでいるからではないか、という気がしています。近世の国家なのであたりまえですが、意外とムガル帝国は中央集権行政機構が整備されている、という印象を受けました(ザミンダールとかジャーギールダールとかマンサブダールとかに、封建制的印象を受けていたのですが、「封建制」とか「中央集権」という解析用語自体がバイアスを含んでしまうので、ムガル帝国の機構についても(そのうち)詳しく調べてみたいと思います。それでもやはり莫大な金額です。少なくともムガル帝国の人口が多かったことはいえるのではないかと思います。



 オドリコなど13世紀の宣教師の旅行記でもしきりとインドの物価の安さに驚く場面が登場していました。これが、安い物資を求めての大航海時代の一因となったのではないかと疑っています。ベルニエの税収情報も、こういう情報がヨーロッパに出回ったことが、富を求めてますますヨーロッパ人がインドの徴税請負業務に食い込むような結果を招いた一因だったのではないか、と疑っています。

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