人気が出てほしいブルンヒルドとフレデグンダとクリエムヒルト

 歴史の問題です。YES/NOでお答えください(というような問いがあったとします)。



Q1.リヒャルト・シュトラウス作曲『ツァラトゥストラかく語りき』序曲は映画『2001年宇宙の旅』のために作曲された。



Q2.リヒャルト・ワーグナー作曲『ワルキューレの騎行』序曲は、映画『地獄の黙示録』のために作曲された。



 事実としてはどちらも間違いですが、真理についての仮説としては、YESであるような気がします。

 そんな風に思えてしまうぐらい、両曲は映像にマッチしており、クラシック音楽に興味のない人々にとっては、漠然と映画の曲だとの印象しか持っていない人も多いのではないでしょうか(別の曲ですが、知人に、ラヴェルのボレロがアニメ版『銀河英雄伝説』のために作曲された曲だと思い込んでいる人がいました。と、偉そうに書いてしまいましたが、私が子供の頃は、まだCDもなく、小学生ではレコードを買う経済力もなく、しかたがないので自宅にあった『講談社版 ステレオ世界音楽全集』(これ)を聴いて 育ったので、たまたま知っていた(ピアノを習っていた、というのもあるかも知れない)、というだけの話なのですが、、、)。



 最近、前回紹介した書籍『西洋中世の女たち』のブルンヒルドとフレデグンダ(フレデグンダは本書の表記で、Wikipediaでは”フレデグンド”)の30年にわたる熾烈な抗争のくだりを読み、『ワルキューレの騎行』が頭の中でリピートするようになってしまっています。



 彼女たちの抗争は、中世ドイツ叙事詩『ニーベルンゲンの歌』で、クリエムヒルトとプリュンヒルトとして劇的に描かれています。昔読んで強く印象に残っていた場面だけ、約30年ぶりに読み返してみましたが、記憶の通り。そしてニーベルンゲン伝説を題材とした歌劇『ワルキューレ』→『ワルキューレの騎行』→『地獄の黙示録』の名場面、という連想で冒頭のQ&Aになったわけです。

 『西洋中世の女たち』のブルンヒルドとフレデグンダの箇所を読み、私の中ではすっかり『地獄の黙示録』の曲と化していた『ワルキューレの騎行』が、ようやくブルンヒルドとフレデグンダの曲としての印象となりつつある感じです。
 歴史上の人物を、アニメ画風イラストで描くものをよく見ますが、ブルンヒルドとフレデグンダは非常に個性が強烈でキャラが立っているので、イラストも沢山あるのではないか、と期待して検索してみたのですが、全然ないのが残念です(フランス語表記ブリュヌオーで検索しても出てこない)。『ニーベルンゲンの歌』のプリュンヒルトで検索してようやく1件、クリエムヒルトも1件、プリュンヒルトとクリエムヒルトを合わせたキャラ画像が1件でてくる程度です(何故かアパートの写真が大量にヒットする)。

 ブリュンヒルデで検索すると、『極黒のブリュンヒルデ』や『蒼き革命のヴァルキュリア』というアニメやゲームの画が大量にヒットしますが、名前をとっただけで、史上のブルンヒルドや叙事詩のプリュンヒルトとは関係なさそうなのが残念です。更にブリュンヒルトで検索すると、銀河英雄伝説の戦艦の名前になっていることも知りました。メロヴィング朝自体がマイナーですし、二人とも澁澤龍彦(の『世界悪女物語』)のおかげですっかり悪女にされているようなので人気がないのかも知れませんが、少なくともブルンヒルデの方は最初から悪女だったわけではなさそうなので、もうちょっと人気が出てもいいように思えます。



 前期メロヴィング朝の史書トゥールのグレゴリウス『フランク史』は史書としての記述は584年で終わっていて、これをタネ本とした19世紀の著作メロヴィング朝史話』も同年で終わっています。フレデグンデは597年、ブルンヒルデは613年まで生きており、彼女たちの残りの人生は7世紀の『フレデガリウス年代記』で扱われています。このように、面白いキャラクターの人生が分割されて史書に残されていることも、あまり知名度があがらない要因のひとつではないでしょうか。7世紀のメロヴング朝や西ゴート、ランゴバルド時代に興味があるので、いつか『フレデガリウス年代記』も、第四巻だけでいいので邦訳されて欲しいものです。



 ところで、『乙女戦争』でチェコ・フス戦争という珍しい題材を扱った大西巷一氏が、ブログでフレデグンダとブルンヒルドを取り上げ、漫画で書いてみたい、と記載されていました。いつか漫画になって欲しいものです。ただ、大西氏の手になると、ただの悪女は書かないでしょうが、とんでもない悪女にしかならないような気もしますが、、、、大西氏のブログでメロヴィング時代を舞台とした珍しい小説『サントクロワ修道院異変―狼を率いる王女』を知ることができたのは収穫でした。



余禄:『地獄の黙示録』は公開時に劇場で見たのですが、その時と今回(ワルキューレの場面だけ視聴しなおした)では、一部の印象が異なりました。

 これまでは、道義を欠いた戦争であることを自覚している米軍司令官(ロバート・デュヴァル)がベトナムの村を襲撃する場面で景気づけに曲が利用されているため、音楽の目的は、敵軍を威圧することと、戦争を娯楽化せざるを得ない、司令官(デュヴァル)自身と部下の兵士達が、カーツ大佐のような狂気に陥らないための、一種の歯止めなのだ、という印象を受けていたのですが、今回は、そういう側面がありながらも、あれは普通に軍楽そのものなのではないのか、という印象も受けました。同時に次のようなことも思い浮かびました。



 過去の軍楽は、突撃のタイミングやリズムを全軍で統一するためのものだったと思うのですが、これからの戦争の軍楽とは、兵士の意識を逸らすためのものとして、兵士が人殺しできればどんな曲を選んでもいいようなことになりそうな気がします。将来の戦争では、アルファ波の出る曲とかリラックスできるBGMを聞きながら清潔な部屋でリモート兵器を操る兵士が、リモート兵器を操作して殺戮する、これからの時代の軍楽は、勇ましい曲ではなく、精神を癒す曲になるのではないかと思いました(気が滅入る話ですが、、、)。



 『地獄の黙示録』に使われた『ワルキューレの騎行』は、従来の軍楽であるとともに、兵士の意識を逸らす麻薬のような、これからの時代の軍楽でもある、過度期にある軍楽を絶妙に表現した映像なのかも、と思った次第です。



※追記 

このようなブルンヒルデとフレデグンデの宣伝記事(になってないかも)を長々と書いた後で、フレデグンデが登場する歴史ドラマをようやく見つけました。次回ご紹介したいと思います。いままで散々(というほどでもないにしても、)探して見つからなかったのものが、ひょんなきっかけで見つかるところが面白いところです。

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