最近読んだ近年の歴史学方法論関係の書籍(3)教育関連


今回は、高校・大学教育での歴史学の教え方に関する方法論の書籍です。


1.『わかる・身につく歴史学の学び方-大学生の学びをつくる-』(大学の歴史教育を考える会/2016年)


 完読しました。大学の史学科で何をやるのか、を端的にまとめた書籍として大変有用だと思います。基本的には、史学科の入学直後の大学1年生向けに、大学4年間で何をやるのかについて具体的事例が挙げられているのですが、史学科を希望する高校生にも非常に有用です。

 高校や大学での歴史教育に関する書籍では、以下のものも目を通しました。


2. 小川幸司『世界史との対話―70時間の歴史批評』(全三巻)。


長野県の高校で20年以上教師をしていらした方の授業をもとに教科書化したもの。これも一部の記事を読んだだけなのですが、驚いたのが、第一巻の著者解説の章で、1950年代と2000年代の世界史教科書の掲載用語数を、巻末索引数をカウントして比較したところ(p320)。


1952年『改訂版世界史』山川出版社 365頁1308個
1954年『世界史 再訂版』中教出版 425頁1549個
2003年『詳説世界史』山川出版社 388頁3379個
2007年『世界史B 新訂版』実教出版社 415頁 3738個
2007年『世界史B』東京書籍 424頁3714個


1954年と2003年を比べると倍以上、1952年と2007年では3倍近くに増えている点。私は高校時代授業で世界史はとっていないのですが(世界史は、最初から受験をターゲットに参考書の『精説世界史』(数研出版)と山川世界史小辞典で独習したため)、近所の先輩に貰った1980年版帝国書院『高等世界史』の索引をざっと数えてみますと、(5頁目で飽きたので、残りは計算して算出)、概ね1850個くらいです。少ない方だったことがわかります。教科書代わりに利用した『精説世界史』は、これも途中まで数えて残りは計算したのですが、約4650個となりました。最近の教科書は、昔の参考書に近い数字です。驚きです。今の参考書はもっと多いのかも知れません(どこか最近の世界史参考書は5500個とかいう数字を目にした気がします)。私はちょっと、大学まで我慢して受験科目をまんべんなく学習するという抑制が効かず、受験という点では悪い意味で世界史にのめりこみ過ぎの高校時代をすごしてしまったので(『精説世界史』をほぼ完全に仕上げ、旧版中公世界の歴史を全巻読み、不足部分を講談社世界の歴史シリーズで補い、山川世界史小辞典の用語をほぼ暗記し更に別の書籍や参考書で空白地域を埋めようとするような)、昨今の世界史教科書問題に口出しすることはできないのですが、用語の削減は賛成です。世界史に限らず、日本史もそうですが、授業時間を使って通俗的な時代像の構築性や、物語と歴史学の違い、史料とロジックを知ることの重要性と、出典確認や議論の確認方法やイデオロギーへの耐性・情報リテラシー等を教えて欲しい気がします(既に教えられているのかも知れませんが)。


 私は学生時代理系ではありませんでしたが、長年IT業界で一応技術者として過ごしてきた経験からすると、確実性の高い根拠(データ≒史料)とロジック(解釈≒論理)という点では、方法論的には理系や技術系と近い部分があるように思えます。今回、すでに文理融合が実施されつつあることを知りました。特に現在蓄積されつつあるビッグ・データによる歴史像の構成という時代に入ると、「データの定義」が現場で実際にどのようになされているのか、それが現実の断面をどれほど捉えられているのか?という点に関心が集まるようになり、データの定義や集計方法が歴史学とこれまで以上に密接に関わってくるように思えます(データの集計過程で編集する部分でイデオロギーや政治が入るのも当然考えられますが、それ以前の、データの定義段階において、「データ集計で表現される現実」は(ある程度)どうにでもなる、という点について油断していると、ここにナラティブが忍び込む、ということです。排除することは難しいが、意識化しておく必要がある、という点では、メタナラティブの研究と同じだという気がしています。※最近「科学的」である水中考古学で編集過程に関する事例を見つけました。山舩晃太郎という米国の大学で活躍する研究者の方ですが、ビザンツ船舶の遺物の解析で「西洋中世暗黒時代」というナラティブを前提にしてしまっているところが見られます(サイト『Hi-Story of the Seven Seas 水中考古学者と7つの海の物語』)。古代エジプトーフェニキアーギリシアーローマービザンティンー近世地中海+ヴァイキング という描き方は、欧米ではオーソドックスな史観ですが、結果的に単線的発展論を形成してしまっています)。


3.桃木至朗『わかる歴史-面白い歴史-役に立つ歴史』(2009年)


 私はこの本を的確に論評できません。本書の主題とは関係ない部分の所感を長々と書いてしまうことになるからです。著者は野球ファンのようです。各所に野球の例え話が登場しています。最初の方では注釈だけに登場していたのが、そのうち本文に登場するようになります。これがいろいろとツボにはまってしまい、思考が脱線してしまうわけです。そこで一度、脱線した野球関連の所感を文章に書いてからようやく冷静になり、削除しました(だいたいこの記事の1/4くらいの長さとなった。※その後、たまたま『歴史教育とジェンダー   教科書からサブカルチャーまで』という書籍の目次を見ていたところ、桃木氏が寄稿しているのを発見し、「なぜ」と思ったところ、第一節のタイトルが「なぜ筆者が本書に登場するのか」とありました。読まずにいられません。近いうちに読む予定)。


 本書については、言語論的転回への立ち位置を知りたいということと、『「世界史」の世界史』の17章で、桃木氏が戦後日本の教育史と現在の問題を論じていたのに興味を持ち、より深く知りたいと思い読んでみたわけです。『「世界史」の世界史』の17章のもとネタに相当する部分は、前半の約140頁です。読了後、著者のツイッターを見てみると、昨年坂本竜馬削除ニュースの民間団体が、本書で桃木氏が主張していた活動の延長線上にある高大連携歴史研究会であることを知りました。なるほど~。つながってきました。ミネルヴァ世界史叢書は、今年3月に発表された、次期学習指導要領をターゲットのひとつにしているものであると理解できます。高大連携歴史研究会に至る桃木氏の姿勢は本書でよくわかります(本書を記載した当初は個別活動として高校教師との合同研究会などに参加していて、まだ高大連携歴史研究会はなかった模様)。ミネルヴァ世界史叢書は、全16冊が予定されている中、まだ2冊しか出版されていませんが、次期指導要領改定までには具体的なイメージがつくように、2020年ころまでにあと数巻はでていて欲しいものです。著者が勤める大阪大学出版会が出した『市民のための世界史』(2014年)は、桃木氏の構想の教科書のたたき台となるものだと現時点では認識しているのですが、図書館で少し内容を見たところでは、それほどラディカルに変わるわけではない、という印象です。「歴史総合」になって近現代に絞られるといっても、古代と中世がなくなるわけではないのでミネルヴァ世界史叢書の方向性の教科書は悪くなさそうに思えるのですが、私は高校時代世界史を受講していないため、あまりこの問題に口を挟むことはできないのでこのへんでやめます。


 教科書改訂の件で、少し最近の各社の教科書を参照しようと思ったのですが、山川出版社の教科書以外は一般に市販しておらず、近隣の区立図書館や都立図書館にも置いていない(ようである)ことが判明しました。母校の大学の中央図書館にもなく、教育学部の学部図書館においてあるらしいとのこと。国会図書館はまだ未確認です。知人に地元の教育委員会にいけば各社のものが参照できるかも、とアドバイスされたのですが、学部図書館や教育委員会には敷居が高くていけそうにありません。意外に現在の学生に身近な教科書が、一般人にはアクセスが面倒なものだということを知るはめになりました。


 というわけで、『わかる歴史』の前半部分は、次期高校世界史教科書のありかたに関わっている人の活動や考え方がよくわかる、という点でお奨めですが、『「世界史」の世界史』の17章18章を読んでいれば十分だ、という所感を持つ方もおられるかも知れません。そこで1点強くアピールしたいのは、たった20頁とはいえ、著者が勤務する大阪大学の歴史関連学部の教育内容を紹介した『わかる歴史』の第一部の第六章、「阪大史学の挑戦」です。これは凄い。


 著者自ら「良くも悪くも学生を放っておく大学で学んだ私にはオドロキのシステマティックな教育」(p123)とあるように、凄い密度のスパルタ教育です。これは凄い卒業生が出てきますわ。脱落しなければ(そうして、ここでもプロ野球のたとえが登場します。かつてのブレーブス、カープや最近のマリーンズ、ファイターズなどと似ている」(2009年時点)そうです)。たった20頁だけですが、この部分は一読する価値があります。


 桃木氏のツイッターによると、用語削除ニュースのおり、いろいろな苦情が桃木氏のところに寄せられたそうですが、高校・大学の歴史教育について、ここまでいろいろ考え、具体的に取り組み実行している内容をまず知れば、納得てきるところも多数でてくるのではないでしょうか(著者も、まず、この本を買って読んでからいってこい、というようなことをツイートしていた気がします)。


 後半の第二部は、著者専門の東南アジア史に著者の歴史教育方法を適用した場合の具体例の記述となっています。東南アジア史にまったく興味のない人は、全体の半分を占めるこの部分のために本書を買おうとは思わないかも知れませんが、いろいろ工夫が見られて面白く読めました。特に第四章の大学入試を模した設問と回答例集はインパクトがありました。高校教育にまで口を出すからには、一般論を主張して終わり。ではなく、具体的な受験問題例まで掲載してしまうところに本気度が伝わってきます。


 最近羽田正氏が、似たような題名の書籍を毎年のように出しているのでそれらの違いがあまりよくわからなくなってしまった印象がありましたが、今年3月にでた『グローバル化と世界史 (シリーズ・グローバルヒストリー)』 は、本屋で少し見たところ、大学以上の研究者の世界の話のようでした。グローバルヒストリーの研究内容の論集ではなく、研究活動に関する書籍のようです。2011年の『新しい世界史へ』をブラッシュアップし、『新しい世界史へ』以降の著者の活動を具体的に記載しているような印象を受けました。有限実行。凄いことです。こちらも近いうちに読んでみようと思います。

更に続く(次回は欧米の史学方法論史書籍)。

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