以前ご紹介したように、『思想』1994年4月号は、「ポストモダンと歴史学」特集で、言語論的転回を扱っていました。実際読んでみたところ、予想と違って日本の歴史学者は登場しておらず、日本人は、巻頭の「思想の言葉」に、英文学者で、80年代には、文芸評論でこのあたりの議論の紹介につとめていたはずの冨山太佳夫氏が登場しているだけで、残りの5人は英米の歴史学者が『過去と現在』誌等に投稿した記事の翻訳で驚きました。冨山氏の挑発的な文言は、いい加減に日本の歴史学界の反応のなさにしびれを切らした感じが非常に強く感じられます。
しかし更に驚いたのは、特集号で掲載されている英米の学者の論争では、どの論者も基本的に言語論的転回をかなり批判的に受容していて、キース・ジェンキンズのような全面賛成論者はほとんどおらず、「受容度」が、各々の論争点となっている点です。かなり冷静に受容されていった様子がよくわかりました。
英米における言語論的転回の受容は、この特集号でだいたい理解できたので、次に興味が出てきたのが、米国の史学史です。学生時代、どころか、今に至るまで米国史学については、系統的にはまったく知らない、ということにわれながら驚きました。上記『思想』の記事で知ることのできた点に以下3点があります。
1.米国で本来文芸批評だった言語論的転回と物語論が歴史学に受容されたのは、米国独自の原因がある。米国におけるヨーロッパの歴史研究では、直接現地の文書館などで一次史料に当たることが難しいため、ヨーロッパの歴史学著作を歴史研究の材料に用いることが多いという環境が、テキスト論流行の環境を準備した
2.クリフォード・ギアツ、ヴィクター・ターナー、メアリー・ダグラス等英米の文化人類学者経由で文化人類学の方法論が米国歴史学に取り入れられた(レヴィ・ストロースからダイレクトに影響したアナール派との相違)
3.フーコーの米国での受容
ここまでわかれば、そろそろ近年の長谷川貴彦氏やリン・ハントの著作を読み始めてもよいようにも思えるのですが、上記『思想』に登場していた、ゲオルグ・イッガースの著書の目次を見たところ、米国史学史に章を割いていることを知り、安かったこともあり、思わず購入し、読んでみました。ついでに今更ながら、リン・ハント編の『文化の新しい歴史学』も取り寄せ、とりあえずリン・ハントが、「新しい文化史」を提唱している序論を読みました。以下所感などを書いてみたいと思います。アナール派の拡大については、世界史に少し興味があれば誰でも知っているような話だと思いますが、今回の読書で目的としているのは、言語論的転回や文化人類学、構築主義的方法が、どのように各国に受容されていったのか、です。その中心はもはやアナールではなく、米国なのではないか、というポイントを整理したくて読んだものです。
1.ゲオルグ・イッガース著『ヨーロッパ歴史学の新潮流』
欧米の近代史学史本です。原著1975年、増補版1984年で、邦訳は1986年です。出版当時大学生だったわけですが、これは読んでおりませんでした。今回、米国史学史目的で購入したわけですが、思わず読んでしまいました。なぜならば、本書のドイツ史学史とフランス史学史の部分は、まさに私の学生時代の歴史学認識とほぼ言える内容であり、大きな発見もありました。当時の在学中の学部ゼミは、英国史は産業革命、フランス史はフランス革命、ドイツ史はワイマール共和国とナチスドイツ、ロシア史はロシア革命、という感じでした。第二語学でフランス語を選択した生徒はフランス革命ゼミ、ドイツ語を受講した生徒はナチスゼミ、ロシア語を受講した生徒はロシア革命ゼミ、という流れがひとつありました。一般講義もこれ関係の講義が必修であった気がします。にもかかわらず、なぜか19世紀から1914年くらいのドイツ史にわりと詳しかったりするのは、当時の西洋史専攻の学生にとって、英仏独史は自然に身につくものだったのだから、と漠然と思い込んでいました(逆にいうと、それ(+中国史・ギリシア・ローマ史)以外の国の歴史知識は興味があっても書籍がほとんど手に入らない時代でした。このへんの事情も、卒業後、イタリア史とかスペイン史とか東欧やイランやイスラーム史等を英仏独と同じ密度で知りたい、という欲求に結びついている要因のひとつではないかと思います)が、本書を読んで思い出しました。19世紀から1980年代のドイツ史まで比較的明るい理由は、近代西洋歴史学は19世紀のドイツで成立したため、西洋史学概論の講義で、ランケからドロイゼン、ディルタイ、ドライチュケ、マイネッケ等、史学史=近代ドイツ史、という流れで自動的にある程度の知識がついてしまったからだと思われます。更に、当時のドイツ史のメインは近代化論にあり、1970年代までのドイツの歴史学者の主要著作が主に近代ドイツを扱っているため、この点でもいつの間にか近代ドイツの知識がついてしまった、という感じです(中世ドイツ史は日本では、当時阿部謹也くらいしかなかったため、この結果、21世紀に入ってから神聖ローマ帝国の初期三王朝時代に興味が出た、ということのような気もします)。
本書のドイツ史学史の部分は、80年代中盤くらいの西洋史専攻の学生が受講した西洋史学概論の授業内容という感じがしました。当時西洋史専攻の学生だった方は、当時の西洋史学概論の雰囲気が懐かしく思い出せるかも知れません。これを読むまでまったく忘れていたヴェーラーとか、ユルゲン・コッカ(ともに当時最前線のドイツ人歴史学者)とか、懐かしく思い出しました。当時先生の、”ヴェーラー”という時の発音がなんだか美声でカッコよかったなあ、と思っていたこととか、今でも鮮明に耳によみがえりました(ヴェーラーの名前も研究内容も、本書を読むまでまったく忘れていたわけですが)。あと、本書は1984年までなので触れられていませんが、当時、ハーバーマスとノルテのドイツ歴史家論争が行われていて、毎週授業で、先生が論争の最新情報を実況中継してくれたことなども懐かしく思い出されました。以下目次です。
はしがき
第一章 伝統的歴史学の危機(1)
第二章 フランスにおける『アナル』の伝統-総合的人間科学としての歴史ー(55)
第三章 歴史主義から「歴史社会科学」へーフィッシャー論争以後における西ドイツの歴史叙述(107)
第四章 マルクス主義と近代社会史(187)
第五章 最近のアメリカ社会史の傾向-接近の限界ー(257)
附章 エピローグー過去十年を振り返ってー(305)
あとがき(349)
訳者あとがき(357)
第一章は、54頁のうちの8割方19世紀ドイツの史学史(残り2割が同時代のフランス)です。この本の特徴は、方法論と研究体制に絞っているところです(物語風人物伝はまったくない)。フランスとドイツの研究体制の違いについて、まともに読んだことがなかったので、非常によくわかりました。
第二章は、学生時代の西洋史学概論ではまったく登場せず、当時独学した内容に相当します。そういう点で懐かしい部分です。第三章は20世紀のドイツ史学史。英国の史学史は、227頁から252頁までであまり大きい扱いではありません。英国では民間の歴史家の歴史叙述がメインで、大学における研究体制の整備が独仏に比べると、非常に遅かったとは知りませんでした。驚きでした。ランケ史学体制が英米仏に導入された時期も書かれていて、いろいろと有用です。第四章は、東欧各国の史学史です。英仏独だけではないところも本書の特徴です(イタリアは登場しませんでしたが)。
だいたいドイツ史学史140頁、フランス50頁、米国45頁、英国25頁くらいの配分です(エピローグでも各国を扱っているが、ページ数割り当てのカウントが難しいので除外)。著者は、ナチスの迫害を逃れて米国に移住したユダヤ系ドイツ人です。史学史に研究が移る前は、ドイツ史研究者だったそうなので、ドイツ史学史が多いのはそのせいかも知れませんが、近代歴史学におけるドイツ史学史の重要性・存在感を考えると、この配分の通り、という感じがしなくもありません。
このように、「ヨーロッパ歴史学」のタイトルでありながら米国も扱われていて、結構有用な書籍ではないかと思います。ざっくりいうと、「新しい文化史」登場前夜まで、アナール派の各国席捲直前までの話です(エピローグで、アナール派の各国への拡大時期が扱われていて、「新しい文化史」も扱われています)。
2.ゲオルグ・イッガース『20世紀の歴史学』
原著1993年、邦訳1996年(「日本語版へのあとがき」で1995年までの内容が増補されている)、前傾書の続編といえる書籍です。ただし、ボリュームが違います。前傾書は、約350頁ですが、こちらは実質150頁。実質前傾書の半分以下という印象です(続編の方が1頁当たりの文字数が少ない印象があり、数えて見ましたが、両書1行51文字、前著19行、続編18行であまり変わりませんでした)。また、東欧も含んでいた前書と違い、ほぼ英米仏独だけの内容です。前半60頁は、前傾書のサマリーみたいな感じで、正直この部分を知るには、前傾書を読んだほうが良いように思えます。本書第二部のタイトルは「歴史社会科学から「言語論的転回」へ―最近20年の歴史理論と歴史叙述」 となっていますが、言語論的転回関連は、第二部の最後の方で登場するだけで、基本的には20世紀後半の独仏英米の史学史本です。前傾書同様、方法論史であり、物語風人物伝ではありません。個人的には、前傾書のあとは、長谷川貴彦とリン・ハントの書籍にいってしまっても良いかと思いますが、これはこれで読む意味はあるかも知れません。すぐ読めてしまいますし。ただし、研究者名が解説もなく登場するので、特にドイツの歴史学者などはローカル過ぎて、ネットで検索しないとわからない人物が結構いました(イッガースも検索して昨秋没していたことを知った次第)。この点では前傾書の方が詳しくてよいかと思います。以下目次です。
序章(1)
第1部 古典的な歴史主義から分析的な社会科学としての歴史学へ(13)
第一章 科学的専門領域としての歴史学の成立-古典的歴史主義ー(13)
第二章 社会科学としての歴史(27)
第一節 古典的歴史主義の危機(27)
第二節 ドイツにおける社会経済史(33)
第三節 社会史のアメリカ的伝統(39)
第四節 フランスの『アナール』(46)
第2部 歴史社会科学から「言語論的転回」へ―最近20年の歴史理論と歴史叙述(61)
第一章 物語技巧の復帰(61)
第二章 批判理論と「社会の歴史」-ドイツ連邦共和国における歴史社会学ー(66)
第三章 マルクス主義歴史学ー史的唯物論から批判的人類学へー(78)
第四章 日常史、ミクロヒストリア、歴史人類学-歴史社会科学批判ー(91)
第五章 「言語論的転回」-科学としての歴史は終焉したかー(110)
終章(123)
第一節「歴史の終焉」か(123)
第二節 歴史学の終焉か(126)
第三節 啓蒙の終焉か(131)
日本語版へのあとがき(135)
訳者あとがき(147)
原注、文献一覧、脚注(35頁)
内容は少し薄い気もしますが、個人的には卒業後から1995年頃の独仏英米の史学史、特に文化史がわかり有用でした。4章はミクロヒストリアの導入のところでイタリアが少し扱われていますが、基本的にドイツの話です。2章とあわせると後半半分がドイツの話です。
結局のところ、基本的には、文化史というのは、当時私がル・ロワ・ラデュリの『モンタイユー』や、ギンスブルクの『チーズとうじ虫』だと認識していたものだということがわかりました。リン・ハントらが提唱した『新しい文化史』との違いは、英米人類学の受容とフーコー、言語論的転回が入っているか、というところと「新しい文化史」は米国で推進された現象だということでしょうか。でもこれらの理論が導入する前から『モンタイユー』や『チーズとうじ虫』では実践され、クリフォード・ギアツの解釈人類学は、歴史人類学としてアナール派では受容されていたようなところもあるので、文化史と社会史をわけるのは微妙という気もしなくもありません。本書でも、文化史に相当する部分の章題は、「日常史、ミクロヒストリア、歴史人類学」となっていて、私の学生時代の認識に近い文言です。この点でも、80年代頃の枠組み認識を知る、という意味で本書は参考になるかも知れません。しかし今や、「文化史」の用語を用いて語ることになった、ということがわかりました(買ってから一度も目を通していなかった1989年2月号の『現代思想 特集ニューヒストリシズム』の冒頭の冨山多佳夫氏と福井憲彦氏の対談で福井氏が「文化史」という用語を新しい方法論の意味で使っているのを発見しましたが、もう卒業していたのでギリギリセーフ。更に、『思想』1989年4月号で、アンドレ・ビュルギエールが「社会科学の危機と歴史学」にてアナール派の自己批判(批判論的転回)を開始しているとのことですが、これも卒業後なのでセーフ)。
3.リン・ハント編『文化の新しい歴史学』
原著1989年、邦訳1993年。本書はまだ1/3くらいしか読めてません。まずはリン・ハントの序論を読み、言語論的転回と文化人類学の批判的受容とフーコーの受容が以前からあるアナール派やギンスブルクの文化史との違いだ、との認識となりました。
序論 歴史・文化・テクスト リン・ハント ペンシルヴァニア大学 フランス革命史
第1部 文化史のモデル
第一章 ミシェル・フーコーの文化史 パトリシア・オブライアン カリフォルニア大学(アーヴァイン)近代フランス史
第二章 E・P・トムスンとナタリー・デーヴィスの著作における群衆・共同体・儀礼 スザンヌ・デザン ウィスコンシン大学 フランス革命史
第三章 ローカル・ノレッジ、ローカル・ヒストリー―ギアーツとその後 アレッタ・ビアサック オレゴン大学 人類学/トンガ史
第四章 文学・批評・歴史的想像力―ヘイドン・ホワイトとドミニク・ラカプラの文学的挑戦 ロイド・S・クレーマー ノースキャロライナ大学近代フランス
第二章 E・P・トムスンとナタリー・デーヴィスの著作における群衆・共同体・儀礼 スザンヌ・デザン ウィスコンシン大学 フランス革命史
第三章 ローカル・ノレッジ、ローカル・ヒストリー―ギアーツとその後 アレッタ・ビアサック オレゴン大学 人類学/トンガ史
第四章 文学・批評・歴史的想像力―ヘイドン・ホワイトとドミニク・ラカプラの文学的挑戦 ロイド・S・クレーマー ノースキャロライナ大学近代フランス
第2部 新しいアプローチ
第五章 アメリカのパレード―19世紀における社会秩序の表象 メアリー・ライアン カリフィルニア大学(バークレー)19世紀米国史
第六章 テクスト・印刷物・読書 ロジェ・シャルチェ パリ社会科学高等研究院(カリフォルニア大学等米国の多数の大学での勤務歴あり)
第七章 身体・細部描写・人道主義的物語 トマス・W・ラカー カリフォルニア大学(バークレー)
第八章 ルネサンス君主の部屋における視覚文化 ランドルフ・スターン カリフォルニア大学(バークレー) 中世/ルネサンスイタリア史
第六章 テクスト・印刷物・読書 ロジェ・シャルチェ パリ社会科学高等研究院(カリフォルニア大学等米国の多数の大学での勤務歴あり)
第七章 身体・細部描写・人道主義的物語 トマス・W・ラカー カリフォルニア大学(バークレー)
第八章 ルネサンス君主の部屋における視覚文化 ランドルフ・スターン カリフォルニア大学(バークレー) 中世/ルネサンスイタリア史
今なら1993年の旧版が500¥以下で出ていますのでお買い得かと思います(2015年の岩波新版との違いは確認していません)。著者たちの経歴を見ると、全員米国人で、フランス人シャルチエも米国勤務があり、彼も「新しい文化史」をフランスに持ち込んむのに一役かったようです。
4.PDF 渡辺和行『歴史学の危機と『アナール』:21世紀の社会史に向けて」(2007年3月)
アナール派第四世代について簡単にまとめられていて有用でした。リン・ハントが、1986年の「最近20年のフランス史」で「皮肉にも『アナール派』パラダイムは、凱歌を奏でたそのときにまさに風化しはじめた」と書いているそうですが、当時の日本の学部講義ではまだアナール派すら到来していない頃に現地では陰りが見え始めた、と指摘しているのには驚きでした。こうしたタイムラグは今でもあるのかも知れません(今はネット時代だからないかな)。
5.PDF 矢野久「ドイツ社会史再訪-歴史学のパラダイム転換?-」『三田学会雑誌』109巻1号(2016年4月)
上述のイッガース『20世紀の歴史学』で30頁くらいで扱っていた内容を、50頁くらいで論述していますが、途中からドイツに特化しているため、かなり異なったイメージです。歴史的社会科学とか歴史科学、構造史=社会史のような、ドイツ史学独特の用語を解説しています。米国の人類学、英国の社会史、イタリアのミクロヒストリアやピエール・ブルデューから影響された日常史がドイツで発展し、日常史において言語論的転回が受容されていたという情報は有用でした。つまり、「新しい文化史」は、ドイツ的に受容されたとのことです(数量史と心性史がほとんど受容されず、「理念」「精神」という伝統的なドイツ史概念が維持され続けたそうです。いつもと同じドイツ的頑固さ)。
6.政治史・ミクロヒストリア以外のイタリア史
北原敦「イタリアにおける近現代史研究の過去と現在(1)」(PDF)によると、1961年に史学雑誌『歴史研究』が産業革命特集をするまで、歴史と経済史は異なった学問領域だったとのこと。イタリア産業革命研究情報が少し探しただけではあまりでてこないのはこのへんに事情があるのかも知れません。しかし、歴史学分野での産業革命研究が1960年頃スタートしたとすると、21世紀に入った頃には研究は一段落し、取りまとめの書籍等が出てきていそうなものです。英訳されたものや、日本語の論説などが見つかりそうな気がします。探してみたいと思います。
1970年頃までは歴史主義(指導階級中心のクローチェ、従属階級中心のグラムシ)史観、1970年代から史学雑誌『歴史ノート』が方法論的議論を主導し社会科学の方法が導入され、この雑誌の議論の中からミクロヒストリアが提唱されたとのこと(1977年35号編集委員エドアルド・グレンディ「ミクロ分析と社会史」)。
7.まとめ
(1)日本の史学概論における史学史と最前線のズレ
全体的に、19世紀の近代歴史学を牽引(欧米の歴史学界に方法論的な影響を与えたという意味で)してきたのはドイツ、20世紀はフランス、20世紀末からは米国、というヘゲモニーの転移があるような気がします。80年代の日本の大学の学部学生用史学概論における史学史は、上述のイッガース『ヨーロッパ歴史学の新潮流』にあるような感じで基本的にドイツ史学史だったわけですが、90年代にはアナール派になったのではないかと推測しています。90年代の学生には、恐らくピーター・バークの『フランス歴史学革命』(邦訳1992年)などの内容が史学史講義の内容として懐かしく思い出され、学生時代の最前線は米国中心の新らしい文化史、ということになるのかも知れません。すると2000年頃には、新しい文化史を中心とした史学史本がありそうなものです(上記イッガースの『20世紀の歴史学』はそれに該当しそうですが、『ヨーロッパ歴史学の新潮流』を理解しているのが前提という感じの書籍なので、あまり適当な感じがしません。ピーター・バークの本とかに相当するものがありそうな気もしますが未確認です)し、当時の最前線は言語論的転回の受容ということも想定可能です。2010年には遅塚忠躬『史学概論』が出たので、言語論的転回の受容を含めた内容が2010年頃の史学史の内容だと想定され(ここも適当な本が思いつきません)、当時の最前線はグローバルヒストリー、という理解にいたっています(今のところ)。そうすると、2020年頃の史学史ではグローバルヒストリーがメインで最前線はパブリックヒストリーとなるのでしょうか??
ところで、学生時代、私の中では、アナール派、文化人類学、言語論的転回とそれに類するものが平行していて、いづれもフランスの諸学者が関係していたので、なんとなく、80年代すでにアナール派には文化人類学、言語論的転回とそれに類するものが取り入れられているのだろうと漠然と思い込んでいたのですが、アナール派に取り込まれたのは、文化人類学は70年代(歴史人類学)と90年代(新しい文化史経由)の二波に渡り、言語論的転回がアナール派に取り込まれたのは90年代になってから(それでも激しい抵抗があった)、というのは発見でした。
(2)その後の展開に関する近年の書籍
最近のフランス史学史については、『歴史学の最前線-〈批判的転回〉後のアナール学派とフランス歴史学』叢書・ウニベルシタス-小田中直樹訳、英米については『グローバル時代の歴史学』リン・ハント著、『現代歴史学への展望――言語論的転回を超えて』長谷川貴彦著が読める段階に来たような気がしますが、最近のドイツ史学も気になります。イタリア史学界なんかはこの40年間ギンズブルグとジョバンニ・レヴィしか登場していない感じでより詳細な内容が気になります。とはいえ、全体的には想定内の展開が確認できたわけで、想定外の最前線という意味では、やはりパブリック・ヒストリーという感じがあります(この結果7月上旬に『過去と歴史-「国家」と「近代」を遠く離れて』岡本充弘著を読むことになりました)。
続く
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