※※2世紀の弁論家、アリステイデスのローマ頌詩日本語参考訳第80-89節です。今回はローマ帝国本論(4)ローマの軍隊です※※
80)その都市自身に城壁を置くということは、あなたはそれが基本であり、あなたの他の考えと一貫していないのではないか、 と信じていた。まるでそのことを隠すように、従属者たちから逃げるように、主人が彼自身を彼の所有する奴隷を恐れているように示すべきであるかのように。しかしながら、あなたは城壁に手を抜いてはいない。あなたはあなたの都市ではなく、あなたの帝国にこれらを置いたのだ。そしてあなたは彼らをあなたの富と栄光と、その周囲にある、そばで見る価値のあるものからできる限り引き離して配置し、もし彼らを見たいと思う者は、その都市から出発して彼らを訪問する旅に出て、彼らのもとへの旅は、数ヶ月か数年でかかる事案となるのだ。
81)人が住む世界のもっとも外側を越えると、ひとつの都市の要塞の防衛の第二次ラインのようで、あなたはもうひとつ別の外周を描き、それはより柔軟で容易に防衛される。そこではあなたは防衛壁を置き、境界の諸都市を建設し、その住民たちを異なった場所に配置して互いに満たしあい、有用な工芸品を供給しあい、装飾品を供給しあうのであった。
82)ちょうど軍営の周囲に囲いを掘るように、これらのすべては円形の城壁と呼ばれていて、つまりはこの周囲の環境は10パ ラサング(約60km)でも20パラサングとか、それ以上ということもなく、あなたが正しく直ぐにいうことができるようなも のではない。 しかしそれは、エチオピアの居住可能な地域や、反対側はファシス地方(黒海東南岸、現グルジア)、ユーフラテス川の島々や、最終的には巨大な西方の島(ブリテン島のこと)によって囲まれているのである。
83)これらの城壁は瀝青や焼き煉瓦で建設されているわけではなく、漆喰で輝いているわけでもない。しかしそれぞれの場所で城壁と普通呼ばれる種類のものがあり、それらの多くは確かに、ホメロスが家の壁について語ったように、石を注意深く密着させて作られていて、それらは巨大な規模で青銅よりも神々しく輝いている。
84)この円は、これらの城壁よりも偉大で壮大であり、全ての方向にあり、あらゆる点で堅固で壊れにくく、円周を越えて遠くまで輝いており、ただし決して小さくはなく、人々はこれらの城壁を防護する地点に彼らの盾を備えていて、飛翔するとは信じら れていないが、ホメロスがミュルミドーン人に帰属させたその調和の中で戦争の全ての道具とともにお互いに参加したのだった。そしてそれらを私が言及した城壁と比較したのだった。よって彼らの兜はお互いに接していて、その間には矢も通らぬほどであった。
彼らの頭上に掲げた盾は亀甲陣をなし、それはその都市のやり方の陣形よりも遥かに安定していて、そこに騎兵でさえ上ることが可能なほどである。そしてあなたは本当にエウリピデスを引用していうだろう、あなたは「青銅の靴を履いた平原」を 見るのだと。そして彼らの胸当てはきつく互いに未着していて、軍営の中央に非武装の兵士を配置すべき時でさえ彼らはお互いに武装により守られている。彼らの予備の装備は、固定した流路を流れる小川から滴り落ちる雨滴のように降りている。このような全体的な調和こそが、彼らの戦略革命の周囲と世界全体の国境の周囲を取り巻いていているのだ。
85)古のダリウス王とともに戦ったアルタファルネスとダティスはひとつの島にあるひとつの都市を網で捕らえることはできたが、もしそのように表現することができるとしたら、あなたは人々が居住する世界全体を網にかけ、この方法で同盟者と外国人- 以前に言及した人々(上述のエチオピア人等)-の双方により安全を保持しているのだ。あなたは全ての人類から選抜し、前へと導き、彼らに勇気ある 男になることを後悔しないという希望を与えたのだ。常に最上位の命令権を保持している人物は貴族である必然はなく、命令権において二番目の者は、次の階級やその次の階級出身者である必要はなかった※。軍人は、その称号ではなく、彼が値する職能により階級を保持するのである。業績がよい人物かどうかを決めるのである。そしてあなたは明瞭な事例をこの全てに与えた。つまりこれら全ての人は怠惰を 不幸とみなし、行動が彼らの願いを達成する方法であり、敵に対抗するひとつの心であり、昇進のために他者に対して生涯を闘争にかけ、 ただ一人で敵を見つけることを祈っているのだ。
※註101の英訳者註曰く、この部分はアリステイデスの説明が不足しており、誰でも指揮官になれたわけではなく、出身階層ごとにキャリアには一定の限度があった、としている(出世し た親の階層を継承した子供が親より上のランクに出世することはできた)。
86)それゆえ、軍隊の陣形と訓練を考える者は誰であれ、彼はホメロスの表現を用いることを信じるだろう、それは「10倍」 の敵がいてさえ、彼らは速やかにルートをとり、ローマ人よりも少ない一人の男を残す※。しかし彼は製図と人員配置についても考え、彼はエジ プト人の話を思い出すだろう。カンビュセスが土地を略奪し、そこにある寺院を奪った時、この男はテーベの城壁の上に立ち、一握りの土の塊といっぱいの水をナイルから汲んで彼の前に立ち尽くした。その意味は、彼はエジプト自身やナイル川を略奪して運び去ることはできない。彼はエジプト人の富をまだ運び去っていない、これらが残っているならば、人々は速やかに再び多くを所有し、富はエジプトを見捨てることはないであろう。あなたの軍隊についてもこのように考えることは可能で、誰も土地自体をその根元から引き、そこに空白を残すことができない限り、人の住む世界がその場所に残る限り、そのように言うことができる。あなたを打ち負かす軍隊の計画については不可能であるが、しかし人が住むあらゆる地方からやってきた兵士は、あなたが望むくらいに大きいに違いない。
※(英訳註103 10人の敵が一人のローマ人に遭遇した場合、敵はローマ人に併合される、という意味に補う
87)そして戦略に関しては、あなたは全人類に子供になるよう示した。あなたがあなたの兵士たちや将校たちに敵に対してこれを実施するように指示しただけでなく、最初に(敵自身に)対して(示したのだ)。それゆえ毎日彼らはその(防衛)線で生活し、誰も彼らに与えられた職務を離れない。まるで永遠の合唱の中にいるかのように、それぞれの兵士が彼の場所を知り、そこを保持し、このため、従属国は彼らの優位性を妬まず、彼ら自身が勝っているひとたち(従属国)を完全に命令に服従させているのである。
88)以前に他のものたちがラケダイモン人について言ったことは悩ましい。それは、「将校を指揮する将校から構成される軍隊」を小数の人々のために守る、ということである。最初にあなたに言ったことと、(少数の人々に対して)保持される、ということは、これに対応している。しかし、その人々は時期尚早にもそれを生み出してしまった。まだラケダイモン人の軍隊がほとんど多くの人数から構成されていて、全ての人々が将校となることは、ありえないことではない。しかし大規模な徴募兵と種族とからなる時には、彼らの名前を発見することさえ容易ではなく、一人の男から始めて、彼の権威は、すべてに浸透していて、彼は全てのもの、諸国民、諸都市、諸軍団、諸将たち自身を監督し、最終的には四人か二人の兵士を指揮する一人の男に至るのである-我々はそれらの間のすべてを省略してしまったが-。そして丁度紡績糸が大きなより糸から小さいより糸へと撚り合わされるように、この方法で一人が、最後のものに至るまで、次々と正しい位置に並べられるのだ。どうしてあなたは全ての人間の組織を越えていかなかったのであろうか?
89) 次のホメロスの詩句の引用が私の頭に浮かんだ。終わりを少し変更している。「このようなことはオリンピアのゼウスの帝国の範囲内のことである」。ひとりの男が多くに命令する場合は常に、彼にとっては彼らは召使であり、使者であり、彼に対して低い地位にいるものである。彼らが責任を負っている人々より遥かに優越している。彼らが速やかに混乱や妨げなく諸事を達成する時はいつでも、嫉妬がなければいつでも、あらゆること、あらゆる場所が正義と尊敬で満たされるときはいつでも、美徳の果実が誰にも失われないときはいつでも、この詩句はどうしてもっとも適していないというのであろうか?
余禄:
前回「影響を受けた学者・書籍」という記事を書きましたが、影響を受けたというわけではないものの、私にとって有用だった書籍として以下のものも追記しておいた方がいいと思うようになり、記事に追記しました。現代思想ガイド本として有用な『構造と力』はやはり入れなければならないし、後年のフェミニズムのイデローグとなる前の理論社会学者時代の上野千鶴子の知識社会学著作『構造主義の冒険』、レヴィー・ストロースとピーター・バーガーに出会った最初の書籍であるバーノン・レイノルズ『人間行為の生物学』、東洋経済『基礎社会学』、『文化人類学15の理論』、紀伊国屋書店の文化人類学叢書、湯浅武夫『文明の歴史人類学』、真木悠介『時間の比較社会学』、山口昌男(啓蒙書しか読んでいないが)、ベルタランフィ『一般システム理論』などは、専著に進むためのガイド本として有用でした。
余禄2:
学生時代の読書リストを用いた読書歴の因果関係の復元は、結構困難です。当時は、完読した日付でリストに書き込む習慣があったためです。例えば、1/1にAを90%読了し、Aで紹介されていたBを2/1までに、Bで紹介されていたCを3/1までに、Cで紹介されていたDを4/1までに、それぞれ90%読了したとします。Aが起点となって読み継いだ書籍をだいたい読了して一段落してから、最後の10%を、それぞれDを8/31に、Cを9/30、Bを10/31、Aを12/31に完読したとすると、読書リストには、D,C,B,Aの順番で記載されて残ってしまう、という現象が発生していました。しかもこの方式だと、完読していない書籍はたとえ9割方読んでいても読書リストに残らないことになってしまっていました(雑誌論文などはまったく記録に残らない)。卒業後10年以上たってから、例え7割くらいしか読んでいなくても、ある時期に読んだ書籍については、( ) をつけてリストに記載することにしたため、現在ではこの点は改善しています。『人間行為の生物学』は完読していなかったため、読書リストに残っておらず、最近中身を見返してみたところ、かなりびっしり書き込みがしてあるのを発見しました。これは大学2年次の生物学の講義のテキストだった書籍で、2年の夏頃から文化人類学の本を読み始めているため、文化人類学への興味の発端となった書籍はこの本だったのではないか、と考えるようになっています。当時の読書リストが編纂史料、当時の書き込みのある書籍そのものが文書史料的な感じです。記憶は結構神話化していてあてにならないが、史料もそのまま文面を信じられるわけではないため、わずか35年ほど前の自分史の調査でさえ、歴史の調査みたいな面白さがあります。
余禄3:最近アマゾンでフーコー『言葉と物』が安く出ていた(1800円+送料)ので購入しました。今月の『思想』がフーコー特集なので、その影響で値下がりしたのかもしれません。『監獄の誕生』も2700円、『狂気の歴史』が3400円ででていましたが、もう少し待てば安くなるかも、と思って買わずにいたら、この二週間くらいで『監獄の誕生』は4000円に、『狂気の歴史』も若干値上がりしていました(或いは安いのが購入されたのかも知れない)。一方、『言葉と物』は送料込みで1450円に値下がりしています。以前から、アマゾンでは、古本を購入するとその直後値下がりする現象が見られましたが、今回も当該現象が発生しました。買い時です(部屋のスペースはとりますが)。フーコーの主要著作(上記三作+『知の考古学』や性の歴史』など)は、学生時代(学生には高額だったため図書館で)チャレンジしたことがあるのですが、いずれも最初の30ページで挫折していて、結局他書で引用されている重要箇所の前後を読んだだけで、ちゃんと読むのは老後に回していたものです。いつ来るのかわからない老後用に買いました。『監獄の誕生』と『狂気の歴史』もそのうち値下がりを待とうと思います。
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