最近読んだ歴史学方法論の書籍 2019年夏(2) 文化人類学・社会学の方法論関連 

1年前に読んだ本も入ってますので、今回の記事の「最近」とはこの1年間ほど、という意味です。

(1)文化人類学の方法論関連

昨夏、大学卒業後の30年間の文化人類学の状況を知りたくて以下の書籍を読みました。どちらも非常にあたりの書籍でした。

21世紀の文化人類学 (ワードマップ)(感想はこちら)(近年の文化人類学概説)

はじめて学ぶ文化人類学:人物・古典・名著からの誘い(感想はこちら)(20世紀前半、中盤、後半の三部構成。後半は1990年代以降を扱っている)

歴史学における言語論的転回同様の現象が、文化人類学でも起こっていたことがわかり驚きました。


(2)社会学の方法論関連


■『データ分析の力-因果関係に迫る思考法』光文社新書 伊藤公一朗著(2017年)

業務上の必要性から読んだのですが、歴史学方法論にも関係する内容でした。昨年『歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史』(邦訳2018年、ジャレド・ダイアモンド編)を読み、数量経済史などで利用されているフェルミ推定(IT業界ではオーダーエスティメイション/要件見積もり・性能見積もり等、単に「見積もり」などの普通用語を使うのが一般的だが、やってることの多くと基本的な考え方は同じ)を組み合わせた手法を「自然実験」という用語を用いていることを知りました。この時は、「自然実験」はジャレド・ダイアモンドの便宜的な造語だと思っていたのですが、社会学用語だったことを本書で知りました。本書は自然実験をテーマとした書籍ではありませんが、「自然実験」がどういうものなのかを理解するのにも有用だと思います(ジャレド本より早く安く読めます)。

かつての歴史学での因果分析や因果関係の叙述では、文学や思想に震源のあるナラティブが無批判に適用されることがありましたが、本書を読めば、その多く(または全部)は因果関係ではなく、相関関係であることがわかります。とはいえ、ビッグデータの時代となってくると、膨大なデータに基づいた因果推論を利用した歴史分析も可能になるかもしれません(このあたりは、もしかしたらまだ読んでいない『これが歴史だ!』の残りの部分の記載されているのかもしれませんが、既読分の2/3の感想では、どうもこの本はそこまで踏み込めていない、という印象があります。もしそこまで書かれていたら、『これが歴史だ!』はすごい本ということになります)。データ的なものを利用した歴史学研究をする場合・或いはそうした研究を読む場合は、社会学のこのあたりの議論は情報リテラシーという観点で必須なのではないかと思います。入門書の入門書という位置づけなので非常にわかりやすく書かれていて、表やグラフが多く文章が少ないため、2時間くらいで読めます。お薦めです。


昨年年末に読んだものです。対談本です。以下の四名が登場しています。

岸正彦(質的調査)、筒井淳也(量的調査)、稲葉 振一郎と北田暁大(理論社会学)

最近の日本の社会学のおおよその状況を知るには大変有用な書籍でした。感想はこちら


上記書籍の対談者の一人、稲葉振一郎氏の著作。対談本では稲葉氏の専門がよくわからなかったため、最近でた下記中級編を読もうと思ったのですが、『中級編』は、本書の続編だという位置づけだと知ったため、読んでみたものです。受験生や学部学生向けの入門書というだけではなく、近世以降の社会学の成立と展開の思想背景を軸に解説した社会学史本という感じのまとめ方の本でした。明治学院大学での講義が下敷きとのことです。社会学入門というよりも、社会学史、という感じです。”歴史学入門”という銘打った書籍同様、入門書には多様な種類があるのでこれをスタンダードな社会学入門本といってしまっていいのかは疑問ですが、読みやすい書籍ではありました。

著者は一橋の社会学部を出た後東大大学院で経済学を研究していて、自身の専門は社会倫理学とするなど、たまたま社会学部で奉職している教授ではあるが、”純粋社会学者ではない”と公言しているのが特徴です。このあたりの著者の認識は、勤務先の明治学院大学のサイトにインタビュー記事(こちら)として掲載されています。その上で、

p281「社会学における教養教育ならびに導入教育においては、確たるフォーマットがないのが現状です。信頼すべき便利な教科書がないので、自分の講義で使うために自分用の教科書を作ってみた―というのが正直なところ」

と記載されています。これが本書の位置づけのようです。確かに、一冊で読める社会学入門本はあまりないかもしれません(私が学生時代に使った入門書は、全五巻の東洋経済『基礎社会学』と全四巻のロバート・ニズベット著『現代社会学入門』でした。どちらも理論色の強いシリーズです。いわれてみれば手ごろな入門書は当時もなさそうでした)。

社会学入門といっても様々な種類のものがあります。社会学の分野(質的量的調査等)を大まかに概説するもの、社会学で登場する各種キーワードを事典的に解説するもの、社会学のキーパーソンと業績を列伝風に叙述するもの、現代社会の具体的な社会問題や主要現象を列挙するもの、特定の方法論を持つ著者が自らの研究を解説しつつ社会学にいざなうもの、、、、一口に入門といってもかなり毛色の異なる書籍が多く、入門と題していない書籍でも、読者によっては入門書の概念に入るものもあったりするので、他書とのすみわけ情報はかなり重要ではないかと思っています。すみわけという点で分類すると、本書は「社会学の成立背景の思想史」となるのではないかと思います。社会学史と異なるのは、近代において社会学が成立する背景となった西欧の時代思潮の解説がメインとなっているからです。通常の社会史ですと、コントやベンサムといった、近代西欧における社会政策の誕生と絡めて社会学の誕生とその後の歴史が描かれるものが多いのではないかと思うのですが、本書はホッブスやアダム・スミスなど、近代経済学や政治学の祖となった人物から説き起こされ、政治学と経済学がどのように成立し、それらでカバーしきれない部分を担う部門として社会学が成立してゆく近代西欧思想史的な記載となっているのが特徴です。

関連人物に総花的に言及するのではなく、あくまで社会学の成立した社会思想をじっくり記載してゆくスタイルのため、17世紀から始まってデュルケムとウェーバーに到達するのは本書の中間くらいです。全13章のうち、個人で章名が立っているのはデュルケムとウェーバーだけですから、本書が列伝風社会学史ではない、ということは、この点からも理解できるのではないかと思います。

著者はどうやら、「社会変動の一般理論」という、社会学ではムリゲーとされている分野が、著者が社会学と関わった頃からのテーマのようなので、本書では、それを巡って隣接社会科学である経済学と社会学がどのように世界を認識していたのか、というテーマを巡って学問的格闘の経緯が記載されています。その世界認識とは、方法論的個人主義と方法論的全体主義であり、これが、ウェーバーとデュルケームに象徴的に結節し、また分散してゆく・・・というような流れで社会学史を見ているようです。

方法論的個人主義と方法論的全体主義は、個と全体、という西洋思想史上の大きな論点の一つですが、これは主観と客観という軸とも重なっている重大な論点です。私は、タルコット・パーソンズ流の主客統合理論がまったく受け入れられず、個人的に納得性の高かったピーター・バーガーの方にいってしまいましたが、基本的には今でもピーター・バーガー流の方が説得力があるのではないかと思っています。社会学史ではあまり重視されていないことの多いピーター・バーガーですが、今年出た大澤真幸の『社会学史』では、この観点から扱われていてちょっとうれしくなりました。書評によると、大澤氏も、この本で主客の統合理論を模索しているようです。これを書いていてちょっと思ったのは、以下の図式が成り立つのではないかということです。あくまでジャストアイデアですが。。。

 パーソンズ:ピーター・バーガー
実在論的歴史哲学:分析的歴史哲学    
歴史研究のウェーバー:方法論のウェーバー    
実在論:唯名論   

実在論的歴史哲学(ヘーゲルとかマルクスとかドゥルーズ=ガタリとか主に大陸のもの)と分析的歴史哲学(新カント派とかダントー、ヘイドン・ホワイトとか主に英米系のもの)は思弁的歴史哲学と批判的歴史哲学という用語が使われることもあります。社会学の方では主客の問題はずっと悩み続けているようなのに、歴史哲学ではなく、実証主義歴史学側では特に論じられなくなってしまっているような気がします。たぶん、

素朴実証主義歴史学:ポストモダン史論

となるはずなのですが、あまりこの点の切り口で論じられていないように思えます。実証主義歴史学自体にはこの手の議論はあまり必要ないような気がしますが、権力や一部の政治党派による、予算や制度面から歴史学界を制御して一部の人々の主観的な歴史像の客体化を図る、という戦略に対抗するため、ということと、自覚化していないと知らないうちに意識の遠域を洗脳されてしまったり、かなり文化圏の異なる他者から見てどうにも主観的な内容を客観的だと思い込むことになるため、歴史研究者もこの手の議論を知っておく必要はあるのではないかと思います。ちなみに、社会学でも、パーソンズとバーガーは、機能主義:構築主義 というくくりになるような気がしますが、こういう風に並べることはあまりないように思えます。

社会学入門は、他に様々な切り口の入門書があるので、最初に接触する社会学入門書籍として本書はお薦めできるかというと、まだ近年の他の書籍に目を通していない段階では個人的にはNoですが、こういう本もありではないかと思います(『社会学はどこから来てどこに行くのか』は、昔の社会学の概要を知っている方が現在の状況を知るという意味で。「近年の社会学入門」という意味でお薦めです)。

巻末の関連文献一覧は結構充実していて有用かと思います。


■『社会学入門・中級編』 稲葉 振一郎著(2019年)

昨年末読んだで登場していた対談に登場した四人のうち、理論の北田氏、質的調査の岸氏、量的調査の筒井氏はどのような学者さんなのか把握できたのですが、対談では経済学の方法論を語っていた稲葉氏についてはよくわからなかったので、どれか著作を読もうと思っていたのですが優先順位は高くありませんでした。たまたま新刊を本屋で見つけたので開いてみたところ、最近興味のある因果推論の話が出ていたのでそのまま購入して読んでみたものです。

本著は、2009年の著書の続編として書かれたもので、前著への様々な批判に対する著者の回答の書という位置づけのようです。因果推論の部分はほぼ導入部だけであまり期待した内容ではありませんでしたが、最新の社会学理論の本であることがわかり、途中から因果推論に関係なく読み進めることにしました。が、続編とのことでしたので、まずは『社会学入門』(2009年)を読んでから本書に進みました。

中級編とあるように、本書は学部3,4年生or大学院生向けです。この本は、私のような素人がレビューを書いてはいけない本なので、誰か早く先にアマゾンレビューを書いて欲しいと思っています。抜群に面白いのは第七章の、社会学研究者志望者へつきつける現在の社会学研究者の世界の現実です。安易に研究者を目指す人を叩き落とす身もフタもない書きぶりですが、研究分野や、志望者の性格別に具体的に書かれているため非常に有用です。研究者志望の学生は冷静に読めないかもしれません。ただ事実としても、筒井氏や岸氏のような泥臭い調査をしている社会学者に言われるのならばともかく、著者のように様々な分野を渡り歩いて、たまたま社会学部で教授になっている、と公言している人に言われても・・・と思う人もいるかもしれませんし、或いは、岸氏や筒井氏のようなまともな(?)研究者に言われると志望者もショックだろうから、著者のような立ち位置の人が率直に書く泥を被った、と見れなくもありません。

本書は、米国の哲学者デイヴィッドソンの言語哲学を挟んで前後に分かれています。デイヴィッドソンの言語哲学を使って主客の統一を図る、客観的合理性を定義できる、とう方向へもっていこうとしていますが、哲学を使うところで無理があるように思えます。ここは認知言語学や脳科学を使うべきで、しかもまだまだ研究途上なのだから、結論を出すのは無理な話です。個人的に思うのは、『社会学はどこから来てどこに向かうのか』でも受けた印象ですが、彼ら、構築主義の洗礼を受けた社会学者は、相対性に疲れているように思えます。デイヴィッドソンの言語哲学というのは、私は本書の解説以外詳しい解説を読んだことがないのですが、米国のものなので、結局プラグマティックという話以上のものではないのではないか、と思えてしまいます。こうした安易に合理性に逃げ込む理論は、誰か(だいたいが権力)が客観的現実なり実在なり合理性なりを定義できてしまうという危ない方向にいってしまわないか心配です。

本書の前半は、社会学の現状、質的量的調査の方法論とその認識論の統合への希求の話。中盤でデイヴィッドソンの言語哲学の話を持ち出して、プラグマティックなレベルでは、客観的合理的実在を認めるしかない、というような展開となって、後半は、第五章でコミュニケーションを用いることで質的量的(主観客観)の相互作用を自覚的に引き起こすことで、ある程度の統合はできる、というような話となり、第六章でAIの話になだれ込んでいきます。全体的にバーガーの時代に戻ってきている、という印象でした。結局90年代以降流行し過ぎ行き過ぎた社会構築主義に疲れた世代が、客観性によりどころを得ようと主客問題に戻ってきている、ということなのではないかとの印象があります(了)。

※途中歴史学方法論に関する議論(7章)も行われていて、計量歴史学は、質的調査の分野であって、量的調査ではない、としています。私は、『社会学はどこから来てどこに行くのか』のレビューで以下のような整理をしています。

質的社会調査(岸) :文化人類学の厚い記述、個性記述的歴史学
量的社会調査(筒井):計量歴史学、比較史、法則定立的歴史学

実は、これを書いた時にもそのような指摘が成り立つことは想定していました。法則定立的歴史学計量歴史学も、実際の作業でレベルでは質的調査の側面が強いとは思っていましたが、『社会学はどこから来てどこに行くのか』では、量的社会調査自体にも、調査の時点や集計上において質的調査同様の客観性問題があることが率直に議論されていたため、上の整理はこの点を重視して分類したものです(+仕事上でのアンケート調査の作成や集計作業、あるいはITシステム化におけるさまざまなデータ定義と集計における操作性の問題の実感からしても。IT業や社会調査に限らずデータ集計業務に携わる人は、このあたりの感覚が容易に実感できるのではないでしょうか)

※※稲葉振一郎氏は、来月『銀河帝国は必要か-ロボットと人類の未来-ちくまプリマー新書』という書籍を出すそうです。『社会学入門』のあとがきや、上記明治学院大学のインタヴュー記事でも伊藤計劃『虐殺器官』を推しています。そのうち、アイザック・アシモフの『銀河帝国の興亡』シリーズに登場する心理歴史学についても語りだしそうです。こうした議論は面白いのですが、地道な社会学者というより言論人というイメージとなってしまいます。彼の著作はひとまずこれで十分だという気がしています。

メモ‐-
20世紀後半の日本を代表する社会学者富永健一氏が今年亡くなっていました。(1931‐2019年)
ピーター・バーガー(1929‐2017年)、トーマス・ルックマン(1927‐2016年)、ヘイドン・ホワイト(1928‐2018年)、チョムスキー(1928-)、ハーバーマス(1929‐)、ウンベルト・エーコ(1932‐2016年)、ポール・ヴェーヌ(1930-)、ル・ロワ・ラデュリ(1929‐)、マーシャル・サーリンズ(1930‐2021年)、山口昌男(1931‐2013年)とほぼ同じ年代を生きた人だったのだなあとの感慨があります。
※追記 ウォーラステイン(1930‐2019年)
※補記 同じ年代生まれで、少し前の死没
デリダ(1930‐2004年)、ブルデュー(1930‐2002年)、リチャード・ローティ(1931‐2007年)、二宮宏之(1932‐2006年)

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