(1)山崎元一著『古代インド社会の研究』 刀水書房、1986年
いつか読もうと思っていた古代インド生活本、このところ読書習慣化したインド本の流れで、ようやく本腰を入れて読む気になりました。以前杉並に住んでいた頃図書館でざっと目を通したことがあり、内容についてだいたいのイメージは把握していたのですが、当時は古代インド学のことなどほとんど何も知らない段階だったため、「これしか史料がないのか‥‥」という期待外れの記憶しか残りませんでした。今回ちゃんと読むと、いまでは古代インドはほとんど史料がない、という前提となっていたため、逆に「おお、この時代の史料はこれがあるんだ、とりあえず複数の史料を比較できる程度にはあるにはあるんだ」との印象となりました。有用な書籍でした。まず目次です。
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序章
一、 古代インド社会史概観 p3
二、目的・史料・研究方法 p18
第一章 奴隷制の性格 p27
はじめに p27
一、仏典の奴隷記述 p30
二、『実利論』の奴隷法規 p38
三、ヒンドゥー法典の奴隷法規 p45
おわりに p55
第二章 雇傭労働者とその生活 p63
はじめに p63
一、karmakaraとbhrtaka p66
二、仏典の雇傭労働者 p71
三、『実利論』の雇傭労働者 p79
四、ヒンドゥー法典の雇傭労働者/ p88
おわりに p95
第三章 賤民制‐チャンダーラを中心に‐ p101
はじめに p101
一、不可触民制の成立 p103
二、チャンダーラおよびその他の賤民 p112
三、チャンダーラの生活 p124
四、チャンダーラとヴァルナ社会の成員 p130
おわりに p140
付節一、後代の諸史料 p142
付節二、不可触民制の発達 p148
第四章 都市とその生活‐パーリ語仏典を史料として‐ p155
はじめに p155
一、村・町・都市 p157
二、都市の構造 p159
三、都市の生活(一) p167
四、都市の生活(二) p173
おわりに p178
第五章 都市の商人‐ガハパティ、サッタヴァーハ、セッティ‐ p181
一、ガハパティ p181
二、ヴァーニジャとサッタヴァーハ p188
三、セッティ p197
おわりに p208
第六章 村落とその生活‐パーリ語仏典を史料として‐ p211
第七章 村落と土地所有‐『マヌ法典』『実利論』を史料として‐ p237
一、「土地所有」をめぐる論争 p237
二、『マヌ法典』の村落と土地所有 p247
三、『実利論』の村落と土地所有 p253
おわりに p263
第八章 森林と林住族 p269
はじめに p269
一、仏典中の森林 p270
二、森林と国家 p281
三、林住族と国家 p290
おわりに p296
第九章 シュードラ(一)‐律法経、仏典、『実利論』を史料として‐ p299
はじめに p299
一、シュードラの義務と生活 p302
二、シュードラの儀礼的地位 p306
三、シュードラと結婚 p311
四、シュードラと犯罪 p315
五、シュードラへの転落と窮迫時の法 p320
六、仏典の社会とシュードラ p324
七、『実利論』のシュードラ p331
おわりに p337
第十章 シュードラ(二)‐ヒンドゥー法典を史料として‐ p339
一、シュードラの義務と生活 p340
二、シュードラの儀礼的地位 p347
三、シュードラと結婚 p357
四、シュードラと犯罪 p362
五、シュードラへの転落と窮迫時の法 p371
おわりに p376
第十一章 ヴァルナ間混血の理論について p379
一、律法経の混血理論 p380
二、『マヌ法典』の混血理論 p391
三、後期ヒンドゥー法典の混血理論 p398
おわりに p405
第十二章 カースト起源論‐学説の回顧を中心に‐ p413
はじめに p413
一、ヴァルナ間混血説 p416
二、職業重視説 p418
三、人種重視説 p423
四、アーリヤ人家族制度重視説 p427
五、先住民起源説 p430
六、宗教重視説 p432
七、折衷説 p439
八、古代社会とカースト制度 p442
あとがき p451
研究者索引 p17 事項索引 p7 英文目次 p3
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全12章のタイトルを見ますと、結構雑多で、一見あまり一貫性のないテーマが扱われているように見えますが、読んでいくと関連がわかります。対象とする期間は、おおむね前6世紀から後6世紀の1200年間くらいとなっていて、地中海世界でいえば古典古代の成立期から古代末期までの期間に相当しています。初期仏教時代からグプタ朝の崩壊までの期間に相当しています。ただし、史料の少ない古代インドのことですから、この期間内における時代的な変遷はあまりわからず、この期間に歴史的発展がなかったかのような静態的な社会像に陥る可能性もあるわけで、実際ほとんどそんな感じではあります。しかし、わずかながら変化が指摘できると思われる個所も見えてくる内容となっていて、その主なポイントはヴァルナ制度の成立と変化です。更に細かいポイントは以下の通りです。
①古代にけるヴァルナ制度の実態は、マヌ法典のような法典史料にあるような整然と整備された制度ではなく、特に下位のヴァルナ(ヴァイシャ、シュードラ)と非ヴァルナ民(不可触賤民、本書で検討されているのはチャンダーラ)との間には流動性があった。奴隷(1章)、雇用労働者(2章)、チャンダーラ(3章)、アーリア社会から見た周辺社会(8章)、シュードラ(9‐10章)の各章は、こうした地位や身分、社会集団の分類に関する観念と実態を解析したもの。
②厳格なヴァルナ制度が適用されたと思われるバラモンにおいても、非バラモンとの婚姻による混血の発生による流動性が若干とはいえ存在していた(11章)
③どうやら時代が下るにつれてより厳格なヴァルナ制度の大系がヒンドゥー法典として整備されていった。ただしこの場合の法典は、法律ではなく、理想の観念という側面も大きいものだった可能性も指摘される
終章(12章)で、本書た対象とする前の時代に成立してきたヴァルナ制度の起源についての諸説が解説される。
このように、ヴァルナ制度の実態と変遷というテーマがメインに一つあり、それ以外に都市民(4,5章)と村落(6,7章)の社会が分析されています。もっとも、都市民と村落の構成員のヴァルナの解析がなされるため、これらの章もヴァルナと関係があります。
冒頭序章で史料解題があり、本書は伝世文献史料だけが用いられています。主な史料は以下の通り。
①仏典 ②統治論本 ③法典
本書の大きな特徴は、ほとんどすべての章で、その章のテーマについて、これら三種の史料ごとに論じらる展開となっていて、史料が描き出すその章のテーマの社会像の相違や共通点などが細かく論じられる、というスタイルで進んでいきます。
①仏典
一番よく登場しているのは『ジャータカ』です。ジャータカの漢語訳である本生経は知っていましたが、パーリ語原典が残っていて、おおむね前6世紀、釈迦が生存中の社会景観が反映しているものだとは知りませんでした。前6世紀から前1世紀くらいまでの史料として利用されています。
②統治論、政治論
主に『実利論』が参照される(2~3世紀頃の史料として利用)。
③法典
ダルマーシャスートラ(律法経/前600~300年)、各種ヒンドゥー法典(マヌ法典(前200~後200年)、ヤージュニャヴァルキア(後100~300年)、ブリハスパティ法典(後300~500年)、カーティヤーヤナ法典(後400~600年)など)。ほぼ前600年から後600年の間の史料がおおむねそろっていることになる。
これら主要史料のいくつかは日本語訳がそろっているため、専門家の解説があれば、意外にインドの古代社会の生活風景に日本語訳だけでも接近できることがわかりました。
最近『ウパニシャッド』や『ジャータカ』などに興味を持ってしまっているのは、この本を読んだこともひとつあるのでした。『ジャータカ』の膨大な説話(500話以上)の中には、前6世紀の釈迦生存時代の社会を反映しているものがあり、『ジャータカ』がそうした使い方ができるのであれば、更にそれ以前の先古典古代社会の生活景観史料として『ウパニシャッド』が利用できるのではないか、更に『ブラーフマナ』の日本語訳もいちおうあるようなので、これらを遡ってゆくことで前10世紀くらいまでのインド社会の景観の一部を垣間見ることができそうだ、と思うに至っているわけです(リグ・ヴェーダまでさかのぼれば前1200年ころまでさかのぼれそう)。メソポタミアやエジプトはともかく、中国やギリシアはここまではいかないよなあ、、、、と、インドの凄さの一つをまたも感じている次第です。とはいえ、インドでは口承時代が長く続いたはずで、各種説話が書籍として残るようになったのはいつのことだろうかと、これも調べものの題材となっています。
ヴァルナ制の実態以外でおおきな時代の変化的なものも、少しだけどわかったこともあります。例えば以下のものなども触れられています。
①仏教やジャイナ教など、前6世紀に諸宗教が勃興した背景には、都市と商業の勃興が指摘されていることは知っていたが、その出典史料のひとつが『ジャータカ』のようだ、と知りました。たしかに『ウパニシャッド』を少し見た限りでは都市の描写には出くわしません。『ジャータカ』を参照し都市が登場している部分を確認したいところです。
②古代においては不可触賤民はまとまった集団として村落を構成し、農村社会の周辺に住んでいたが、中世になると不可触民は各村落の周辺にまとまって居住するようになった可能性がある(近現代には明白である一方、中世についてはビールーニーなどの史料の若干の記載にもとづく(本書の段階の学界ではまだ)仮説)。
古代インドのおおよその生活景観や、それらを知ることのできる文献史料を知ることができる大変有用な書籍でした。
『ジャータカ』『ウパニシャッド』というところを(読んでいる時間はないとしても)ざっとチェックして考古学遺物と付け合わせをしてみるとか、そういうことを既にやっている書籍を探してみたいと思います。
(2)池亀彩著『インド残酷物語』集英社新書、2021年
社会人類学者のフィールドワークの一部を新書向けに書いた本(著者は早大理工建築学科卒という異色の経歴)。ルポルタージュに近い感じの書籍です。基本的にカルナータカ州を対象としたところが本書の特徴です。個人的には、広大なインドを、地域単位でアプローチした書籍としては、はじめて読む書籍なのではないかと思います。インドにいったことがなくても、ラジャスターン地方とガンジス河流域地方とか、ヴィンドゥーヤ山脈の南北とか、デカン地方とか、ドラヴィダ語圏などの区分はおおよそのところは頭に入ってはいても、各州毎の地域的一体性や、歴史的一体性、地域ナショナリズムのようなものを含めた理解となると、ほぼ現地在住日本人会が出している会報の類でも読まない限り、なかなか現地目線の雰囲気は味わえないような気がします。
本書は、カンナダ語を身に着けた研究者である著者が長年フィールドワークを行ってきた経験(本書の直接の内容は2009年から17年の滞在時のもの)をもとに書いているため、序盤から一気に地上目線でのインド地域観の次元にもっていかれます。曰く、
「カンナダ・ナショナリズムを掲げ、しばしば暴力事件を起こすグループ」(13)
「マハーラーシュトラ州でしばしば暴力的な事件を起こすマラータ・ナショナリズムの標的が、貧しい北部のビハール州やウッタル・プラデーシュ州から来るヒンディー語話者の出稼ぎ労働者たちである」(15)「北インドでは、北東インドなどのより貧しい地域から「買われて」きた女性たちが奴隷同然の扱いを受けているという報告」(167)がある。
「南インドの米作を支えるカーヴェリ河の水量分配でカルナータカ州が下流のタミル・ナードゥ州と揉める(略)将来タミル人がカンナダ・ナショナリストの標的になる可能性がないわけではない」(15)「タミル語圏のタミル・ナードゥ州でカンナダ語を使うことは御法度」(41)
「カンナダ語もタミル語もドラヴィダ系言語に属するので、それなりに理解できるのではないかと思っていた。だが、その根拠のない自信は、国道沿いの食堂に入ってすぐ打ち砕かれた」(42)そうして、著者を案内したカンナダ語を母語とする運転手は「タミル語も十分理解できると胸をは」っていたが、実際タミル州に入ると、「かなり怪しい」(42)ことがわかった。
「南インドの中でもカースト意識がより強く残っているとされるカルナータカ州では名誉殺人の事例をほとんど聞いたことがない」(38)のに、「報道ではこの州(タミル・ナードゥ)での名誉殺人の多さが強調されて」(38)いて、「タミル・ナードゥ州はインドの中でも、比較的教育レベルが高く、貧富の差も少ないといわれている」のに、「なぜ名誉殺人が多く行われるのか」(38)、と疑問を抱いた著者は、タミル・ナードゥ州に調査に赴き、カルナータカ州で名誉殺人がないのは、当該暴力がそのように社会的に名付けられていないからで、「タミル・ナードゥ州で名誉殺人が多く行われ、カルナータカ州では起きていないということではないのだ」と知る(44)
題名は残酷物語ですが、本当に残酷な部分は日本であまりなじみがない親族内での名誉殺人を扱った第一章だけで(ただしその前の「はじめに」で過激なナショナリストたちに殺害された著者の直接の知人の知識人たちの事例が複数登場しており、この点もインド社会の残酷が際立っている)、他の章は、戦後高度経済成長期の日本でもあったような貧困の話だったり、部落差別に通ずるものであったりと、インドほど過酷でなくても日本でも近いものが見られた内容です。各章の章題と主題は概ね以下のような感じです。内容はいずれもカルナータカ州の話です。
第一章 純愛とiピル
名誉殺人と、インド社会の中核にある「家族」から構成されるネットワーク社会」
第二章 水の来ない団地で
低学歴かつ低所得者の生活事例(低カースト)
第三章 月曜日のグル法廷
地域ボスである「グル」の事例
第四章 誰が水牛を殺すのか?
非差別アウトカーストの社会運動の事例
第五章 ウーバーとOBC
著者がよく利用するタクシー運転手半生記(低(後進)カースト)
名誉殺人と、インド社会の中核にある「家族」から構成されるネットワーク社会」
第二章 水の来ない団地で
低学歴かつ低所得者の生活事例(低カースト)
第三章 月曜日のグル法廷
地域ボスである「グル」の事例
第四章 誰が水牛を殺すのか?
非差別アウトカーストの社会運動の事例
第五章 ウーバーとOBC
著者がよく利用するタクシー運転手半生記(低(後進)カースト)
まあしかし、かつての日本でみられたような残酷さよりもインドの方が何倍も過酷という点では、やはり「インド残酷物語」といえそうです。
カルナータカ州が独自の地域的まとまりをもった歴史を持つ歴史的世界だったのかどうかに関心がでてきたのですが、インドの場合地域史というのが日本ではまだなさそうなのでなかなか情報が集まりません。検索すると、カンナダ語が支配王朝の宮廷で使われていた最初の王朝はカダンバ朝(345‐540年/昔インド映画でカダンバ朝映画を発見したときに知った懐かしい名前)で、5世紀のハルミディー村発見の碑文が現在発見されている中での最古のカンナダ語碑文とのこと。その後前期チャールキヤ朝(543‐753年)やラーシュトラクータ朝(753‐973年)、後期チャールキヤ朝(973‐1189年)と、345年から1189年までの約800年間、カンナダ語の王朝が継続的に興起していたそうです。これらの王朝は、カルナータカ州だけではなく、その北隣のマハーラーシュトリ語圏であるマハーラーシュトラ州も併せて支配しているため、カンダナ民族王朝とはいえないものの、おおむねカンナダ語とマハーラーシュトリー語の二つの語圏にまたがる領域であるため、一応マハーラーシュトラとカルナータカを歴史的世界と見ることができそうな可能性はありそうだ、ということがわかりました。そういうわけで、カルナータカ州とマハーラーシュトラ州の関係を知りたくなりましたが、本書では特に記載はありませんでした。本書で比較でよく登場するのは同じドラヴィダ語圏のタミル・ナードゥ州であり、マハーラーシュトラ州に対するカルナータカ人の見解は出てこないのでした。マハーラーシュトラ州とラーシュトラクータ朝の「ラーシュト」は、同じ語源のようで、領域とか「くに」を意味するそうです。
更に9世紀にはラーシュトラクータ朝の王がカンナダ語で文学を著し、以後宮廷では継続してカンナダ文学が登場していたそうで、このあたりについては、次の論文に概要が解説されています(以前はPDF公開されていたのですが現在は非公開のようです)。
「カルナータカ宮廷文学の歴史――文学記述の言語とその時代的変遷――」(2006年3月/『南アジア言語文化』南アジア言語文化研究会・東京外国語大学南・西アジア課程研究室)
その後もカルナータカ州のあたりを支配した王朝にホイサラ朝(1026‐1346年)の宮廷でもカンナダ語文学が栄え、その後ヴィジャヤナガル王国のヴィジャヤナガルに都を置いた三王朝の宮廷となるとカンナダ語文学は低調となっていったそうです。一方宮廷以外では、ヴィジャヤナガル時代に入るとカンナダ語文学が広まり、マイソール王国時代の宮廷では宮廷人の母語ではないテルグ語文学が栄えたとのこと。
というように、こうした、インドの州の特徴を扱った書籍を各州ごとに読んでみたいものです。
(3)川村悠人著『ソシュールとインド』人文書院、2025年
ソシュール言語学の起源における古代中世インドの文法学(言語哲学)の影響の有無をインド文法学の研究者が調査探求した本です。
本書によれば、この論点は、著者が初めて主張したわけではなく、既に何人もの研究者が論じていているとのことですが、私が受けた印象では、この手の歴史研究でよくある、内因論と外因論で整理することができそうです。これまでこの論点に言及してきた研究者は、(本書で紹介されている内容から見る限りでは)欧米のソシュール学者や欧米語を主体とした研究を行っている言語学者であるため、ソシュール言語学の起源を欧米の学流に求めてしまう傾向が見て取れるように思えます。これらは内因論に分類できます。対する本書は、インド文法学側の研究者がソシュール関連の文献を調査している点に特徴があり、外因論の可能性を追求した内容となっています。
外因論と内因論という歴史上の主題における論争が起こる多くの場合の理由は、決定的な因果関係の証拠が見いだせず、断片的な状況証拠の積み重ねであるためです。社会科学の用語でいえば、状況証拠データからは相関関係は見いだせるが、因果関係は見いだせない、という地点にとどまるため、論争となって続くわけです。本書も同様の段階にあるため、先行レビューに
「
とあるのは、まさにこの、著者は相関関係は見出しているが、因果関係は見いだせずに終わっている、という点を述べたものと解釈してよいと思います。
ただし、長い論争歴を持つ他のテーマと以下の3点で異っています。
1.従来の内因論者たちは、このテーマについて本腰を入れて研究しているようではなく、別のテーマの研究の中の部分的なテーマとしてソシュールとインドの関連に触れている、という段階のようであるため、今後この主題を専門とする徹底的な研究者が現れれば、より深堀できる余地がある
2.本書でも活用されているように、ソシュールの業績研究では、近年でも多数のソシュールの草稿が発見されるなど、今後も新史料が発見される余地がある
3.インド学側の研究者による研究は、これまでほとんどなされてこなかったため、今後のインド学の研究者による研究の余地も多い
など、将来の展開如何によっては、因果関係が見つかる可能性は期待できる余地は残っていそうです。
というわけで、本書で決定的な結論が得られなかったからといってがっかりすることでもないように個人的には思う次第です。史料がない以上内因論か外因論か、平行線が続き将来にも続きそうな論争は、歴史学や人類学、考古学などではよくあるものですし、実際因果関係があったとしても、史資料として残ってない以上、「ない」ことを証明することも難しいことなので、当面のところはそうした論争の一つとしてとらえておけばよいのではないかと思います。そもそも、文献から確認できる限りではソシュールが直接該当するインド古典文献を読んでいないことがわかったとしても、欧米の先行研究者の著作を通じて間接的にヒントを得たとの可能性は常に残り続け、その間接文献が史料的に特定できないとしても、この可能性が「ない」ことを証明することもまた難しいため、外因論の可能性を否定することは簡単ではないでしょう。
更に今後インドの経済力発展に伴い増加すると思われるインド人研究者が参入してくると、彼らはその立場上外因論となる人が多くなると思われ、いずれは欧米研究者は内因論、インド人研究者は外因論、という構図になって続いてゆくような気がします。となると、欧米とインドどちらとも異なる第三者的立場として日本人研究者が参加する意味と意義はあるわけで、日本人研究者がアピールしやすい主題である、ともいえるかもしれません。
また当然、決定的な因果を証明できる史料が発見されない限り、内因論外因論双方の要因が合わさってソシュール言語学が成立したとする折衷論のような立場もありえるわけで、この観点からすれば、本書で列挙されている状況証拠は、部分的影響の証拠としては有用であるように見えます。このような構図を念頭に置いて読めば、特に期待外れということもないのではないかと思いますし、実際この分野に知見のある学生や研究者が読めば、自明の前提として読み進めることになるため、スムーズに論旨を追えるのではないかと思います。しかし、この分野に知見のない一般読者においては、前提となる記載が少し不足しているのではないかと思います。このあたりはどの読者をターゲットとするかの編集方針によりますので、特に本書の瑕疵とはなりませんが、一般読者にとっては以下の前提となる記載を事前に頭に入れておくと入りやすいのではないかと思ったため、引用列挙したいと思います。本書では、ソシュールはインドには影響を受けていない、とするこれまでの研究史上の諸説が文中散在しているため、「ソシュール学説の形成過程やそれに影響を及ぼした思想家およびその思想について」(p14)記載されているp14あたりに一括してあるとよかったのではないかと思います(末尾に散在箇所の一覧を付記しています)。
ソシュールがインド文法学派に直接影響を受けた、との明白な記載が文献的に確認できないとしても、インド古典学者のホイットニーが読んでいた、そのホイットニーに影響を受けたと思われる文章がある、それをソシュールが読んでいた、ということもあり得るはずなので、何が何でも明白な記載がない限り、インド文法学派のソシュールへの影響は認められない!ということにはならないのではないか、とも思えます。ある程度の状況証拠が積み重なれば、そこから先は、「影響はあった可能性がある」と考えるか、考えないかは、人による、としか言いようのないものなのではないか、というように思えます。
〇付記
本書を読んでいて気になった箇所を付記します。最初のものは上述の研究者バイアスに関する部分です。
(1)ソシュールにインドの影響はほとんどない、とするミニマリストといえる論者に関する記述が気になったため一覧を作成。
①p55 ソシュール研究者のドッターヴィは、ソシュールの生前に刊行されたものではオルトラマールの書評がソシュールのサンスクリット語やインド学的な活動を証する唯一の資料だと記載している、とする記述。(その後に著者の、ソシュールの生前刊行されたサンスクリット語に関する博士論文『絶対属格の用法』があるではないか、との記載が続く)
②p46冒頭「当初、ソシュールの博士論文は、狭い領域での文献学的な技術を示すにすぎないものとして否定的な評価を与えられがちであった」(博士論文とは『絶対属格の用法』のこと)
③p66 「スタール(Frits Stal 一九三〇~二〇一二)は、ソシュールはパーニニ文法を好まなかった、あるいは理解していなかったという発言を残している」
④p138 「ソシュールがアポーハ論を知っていた可能性はおそらくないということを説く論者もいる」(注でこの論者はドッターヴィだとの記載がある)
特にp150以下ではソシュールとインド学の関連に関する研究史が概観され、ホイットニー、ケルナー、デ・マウロ、スーレン、シン、アトラニ・ヴォワザン、ガンバラーラなどが言及されている。
⑤p152 ソシュールが影響を受けた先行研究者にインド古典学者ウィリアム・ドワイト・ホイットニー(1827‐94年)がいるが、ソシュール思想の形成を論じたケルナーは、シニフィアンとシニフィエとその恣意性の概念はホイットニーが由来だとしているが、「ホイットニーもまたその道の権威の一人であったところのインド文法学についてはほぼ沈黙しており、ソシュールとインド文法学の比較検討はなしていないに等しい」
⑥p152 「ケルナーとデ・マウロの研究では、インド文法学家のパタンジャリやバルトリハリの言語思想が論及されることはないようである」
⑦p152 スーレンはフランスの思想家イポリット・テーヌ(1828‐93)を重視している、との記載
⑧p153 シンは「あくまでパーニニ文典とソシュールの方法論の比較にとどまっているようであり、その論述にはほとんど説得力がない」
⑨p153 アトラニ・ヴォワザンは「インド文法学のスポータ論を取りだして、ソシュールとインド文法学の連絡を探るがいるようではあるが、全体として議論は抽象的で論旨も不明瞭であ」り、パタンジャリやバルトリハリの刊本への言及もない。
⑨p154 ドッターヴィは「ソシュールの思想が形づくられ発展してゆく過程でインド側から何らかの干渉があった可能性については否定する結論を下している」
⑩p155 ソシュールが著作で言及している書籍の目録を作成したガンバラーラについては註釈(30)で、目録が網羅的な割には『絶対属格の用法』で言及されている著作に漏れがあり、著者は「そのようなインド語文献をも網羅することをインド古典学の専門家ではない者に要求するのは、酷である」と指摘している。
⑪p155ガンバラーラの目録にはバルトリハリの文章単語論が入っていない。
以上の内容からは、言及されている研究者は欧米人か、或いは非欧米人ではあっても言語学やソシュール言語学側の研究者(Prem Singhなど)であってインド古典学研究者というわけではないと思われること、彼らがインドの影響を過小評価する西洋中心主義的バイアスがあるのではないかと思える発言が複数見られること、ソシュール研究者や欧米語中心の言語学研究者ではない、インド学専門家の研究が不在であると見える様子が見て取れるのではないかと思います。
(2)本書の目的が文中繰り返し記述されているところ
著者自身、明確な結論が出ていない、とする指摘を予想してか、随所で本書の狙いや目的に言及しています。
①p13 序論 「馬場はその論考の注において、将来、ソシュール思想とインド文法学の関わりを吟味する研究が現れることを期待して、筆を置いている。本書において私がなそうとするのは、まさしくこれに他ならない」
②p14「本書の狙いは、ここにある」
③p16「本書の目的をまとめておこう」
④p109 「本書の目指すところである」
⑤p156「ソシュールの親しんでいたインド文法学からの影響の可能性を開こうとする本書」
⑥p164「ソシュールはインド文法学とその文献に対して該博な知識と豊かな経験をそなえていた。そちらの方面に刮目すべきものがあることを示そうとしているのが、本書である」
一方で、これこれは本書の対象外である、との記載もあり、いやそれも深堀りしてくださいよ~と思った部分もありました。例えば以下の箇所。
① p107 「この言葉と意味に対する考え方についても(略)その考察は本書の主題ではないので深入りはしないことにする」
② p117 「本書の主たる目的とは逸れるため(略)詳述しない」
③ p118 「この箇所は本書の主題ではないのであまり深堀しないが」
④ p122 「本書の目的から外れるため、これ以上の議論は控える」
(3)誤りのように見えた箇所
p38 ハーバードが保管するソシュールの自筆草稿は995頁、そのうちインドに関するもの300頁、とあるのに対し、p54では、同じハーバードが所有するソシュールの自筆原稿には、インド詩の韻律学に関する下書きが536頁にも及ぶ、とある。p38ではインドに関するものが300頁とあるのに、p54ではインド詩の韻律学だけで536頁もある、というのはどうして? (なお、この自筆原稿には、 「ソシュール思想の通説を根底から覆すような言明も見える」(p108) とのことで、この部分の具体的内容も知りたいところです。
(4)その他メモ
〇ケルナー
https://en.wikipedia.org/wiki/E._F._K._Koerner (5 February 1939 – 6 January 2022) 言語学者、言語学史
〇p111 著者が、過去の論説の誤解する書き方を訂正しているところ
〇p127 赤松1986「古典インドにおけるコトバ論の展開」『人文学報』60号(ソシュールとインドの言語観を同一線上においている、とする論説)
〇p137 廣松渉 アポーハへの言及、p139 ヘーゲルにおけるアポーハ論的記述
以下アマゾンレビュー用>------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
ソシュール言語学の起源は内因論(欧米言語学)なのか、外因論(インド文法学)なのか、についての探求
ソシュール言語学の起源における古代中世インドの文法学(言語哲学)の影響の有無をインド文法学の研究者が調査探求した本です。
本書によれば、この論点は、著者が初めて主張したわけではなく、既に何人もの研究者が論じていているとのことですが、私が受けた印象では、この手の歴史研究でよくある、内因論と外因論で整理することができそうです。これまでこの論点に言及してきた研究者は、(本書で紹介されている内容から見る限りでは)欧米のソシュール学者や欧米語を主体とした研究を行っている言語学者であるため、ソシュール言語学の起源を欧米の学流に求めてしまう傾向が見て取れるように思えます。これらは内因論に分類できます。対する本書は、インド文法学側の研究者がソシュール関連の文献を調査している点に特徴があり、外因論の可能性を追求した内容となっています。
外因論と内因論という歴史上の主題における論争が起こる多くの場合の理由は、決定的な因果関係の証拠が見いだせず、断片的な状況証拠の積み重ねであるためです。社会科学の用語でいえば、状況証拠データからは相関関係は見いだせるが、因果関係は見いだせない、という地点にとどまるため、論争となって続くわけです。本書も同様の段階にあるため、先行レビューに
「別々に論じておいて最後に「ほら、両者は同じようなことを主張していましたよね」と言われたような、そんな印象である」
「本書で示したのは両者の類似性であって、影響関係まで示したとするなら言い過ぎだろう」
「本書で示したのは両者の類似性であって、影響関係まで示したとするなら言い過ぎだろう」
とあるのは、まさにこの、著者は相関関係は見出しているが、因果関係は見いだせずに終わっている、という点を述べたものと解釈してよいと思います。
ただし、長い論争歴を持つ他のテーマと以下の3点で異っています。
1.従来の内因論者たちは、このテーマについて本腰を入れて研究しているようではなく、別のテーマの研究の中の部分的なテーマとしてソシュールとインドの関連に触れている、という段階のようであるため、今後この主題を専門とする徹底的な研究者が現れれば、より深堀できる余地がある
2.本書でも活用されているように、ソシュールの業績研究では、近年でも多数のソシュールの草稿が発見されるなど、今後も新史料が発見される余地がある
3.インド学側の研究者による研究は、これまでほとんどなされてこなかったため、今後のインド学の研究者による研究の余地も多い
2.本書でも活用されているように、ソシュールの業績研究では、近年でも多数のソシュールの草稿が発見されるなど、今後も新史料が発見される余地がある
3.インド学側の研究者による研究は、これまでほとんどなされてこなかったため、今後のインド学の研究者による研究の余地も多い
など、将来の展開如何によっては、因果関係が見つかる可能性は期待できる余地は残っていそうです。
というわけで、本書で決定的な結論が得られなかったからといってがっかりすることでもないように個人的には思う次第です。著者も、各所で本書の目的をしつこいくらい繰り返しているのも(p13.14.16.109,156,164)、結論が出ないとの指摘を予期してのことだと思われます。史料がない以上内因論か外因論か、平行線が続き将来にも続きそうな論争は、歴史学や人類学、考古学などではよくあるものですし、実際因果関係があったとしても、史資料として残ってない以上、「ない」ことを証明することも難しいことなので、当面のところはそうした論争の一つとしてとらえておけばよいのではないかと思います。そもそも、文献から確認できる限りではソシュールが直接該当するインド古典文献を読んでいないことがわかったとしても、欧米の先行研究者の著作を通じて間接的にヒントを得たとの可能性は常に残り続け、その間接文献が史料的に特定できないとしても、この可能性が「ない」ことを証明することもまた難しいため、外因論の可能性を否定することは簡単ではないでしょう。
更に今後インドの経済力発展に伴い増加すると思われるインド人研究者が参入してくると、彼らはその立場上外因論となる人が多くなると思われ、いずれは欧米研究者は内因論、インド人研究者は外因論、という構図になって続いてゆくような気がします。となると、欧米とインドどちらとも異なる第三者的立場として日本人研究者が参加する意味と意義はあるわけで、日本人研究者がアピールしやすい主題である、ともいえるかもしれません。
また当然、決定的な因果を証明できる史料が発見されない限り、内因論外因論双方の要因が合わさってソシュール言語学が成立したとする折衷論のような立場もありえるわけで、この観点からすれば、本書で列挙されている状況証拠は、部分的影響の証拠としては有用であるように見えます。このような構図を念頭に置いて読めば、特に期待外れということもないのではないかと思いますし、実際この分野に知見のある学生や研究者が読めば、自明の前提として読み進めることになるため、スムーズに論旨を追えるのではないかと思います。しかし、この分野に知見のない一般読者においては、前提となる記載が少し不足しているのではないかと思います。このあたりはどの読者をターゲットとするかの編集方針によりますので、特に本書の瑕疵とはなりませんが、一般読者にとっては以下の前提となる記載を事前に頭に入れておくと入りやすいのではないかと思ったため、引用列挙したいと思います。本書では、ソシュールはインドには影響を受けていない、とするこれまでの研究史上の諸説が文中散在しているため(p46,55,66,152-55)、「ソシュール学説の形成過程やそれに影響を及ぼした思想家およびその思想について」(p14)記載されているp14あたりに一括してあるとよかったのではないかと思います。
ソシュールがインド文法学派に直接影響を受けた、との明白な記載が文献的に確認できないとしても、インド古典学者のホイットニーが読んでいた、そのホイットニーに影響を受けたと思われる文章がある、それをソシュールが読んでいた、ということもあり得るはずなので、何が何でも明白な記載がない限り、インド文法学派のソシュールへの影響は認められない!ということにはならないのではないか、とも思えます。ある程度の状況証拠が積み重なれば、そこから先は、「影響はあった可能性がある」と考えるか、考えないかは、人による、としか言いようのないものなのではないか、というように思えます。
※一点だけ、誤りのように見えた箇所がありましたので記載します。
p38 ハーバードが保管するソシュールの自筆草稿は995頁、そのうちインドに関するもの300頁、とあるのに対し、p54では、同じハーバードが所有するソシュールの自筆原稿には、インド詩の韻律学に関する下書きが536頁にも及ぶ、とある。p38ではインドに関するものが300頁とあるのに、p54ではインド詩の韻律学だけで536頁もある、というのはどうして? (なお、この自筆原稿には、 「ソシュール思想の通説を根底から覆すような言明も見える」(p108) とのことで、この部分の具体的内容も知りたいところです。もしかしたら私が何か勘違いしているのかもしれませんが。。。
p38 ハーバードが保管するソシュールの自筆草稿は995頁、そのうちインドに関するもの300頁、とあるのに対し、p54では、同じハーバードが所有するソシュールの自筆原稿には、インド詩の韻律学に関する下書きが536頁にも及ぶ、とある。p38ではインドに関するものが300頁とあるのに、p54ではインド詩の韻律学だけで536頁もある、というのはどうして? (なお、この自筆原稿には、 「ソシュール思想の通説を根底から覆すような言明も見える」(p108) とのことで、この部分の具体的内容も知りたいところです。もしかしたら私が何か勘違いしているのかもしれませんが。。。
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この記事へのコメント
不重力日月王
不重力日月王
F爺に駆除されちまえ🖕ಠ_ಠ🖕
v
これら主要史料のいくつかは日本語訳がそろっているため、専門家の解説があれば、意外にインドの古代社会の生活風景に日本語訳だけでも接近できることがわかりました。
最近『ウパニシャッド』や『ジャータカ』などに興味を持ってしまっているのは、この本を読んだこともひとつあるのでした。『ジャータカ』の膨大な説話(500話以上)の中には、前6世紀の釈迦生存時代の社会を反映しているものがあり、『ジャータカ』がそうした使い方ができるのであれば、更にそれ以前の先古典古代社会の生活景観史料として『ウパニシャッド』が利用できるのではないか、更に『ブラーフマナ』の日本語訳もいちおうあるようなので、これらを遡ってゆくことで前10世紀くらいまでのインド社会の景観の一部を垣間見ることができそうだ、と思うに至っているわけです(リグ・ヴェーダまでさかのぼれば前1200年ころまでさかのぼれそう)。メソポタミアやエジプトはともかく、中国やギリシアはここまではいかないよなあ、、、、と、インドの凄さの一つをまたも感じている次第です。とはいえ、インドでは口承時代が長く続いたはずで、各種説話が書籍として残るようになったのはいつのことだろうかと、これ
口隹➖️ネ申
また、論評中心の史書というのもあまり好きではないため、この点でも後漢紀は、私には縁のなさそうな書籍ということがわかった、というわけです。
ただし、後漢紀にまったく興味がない、というわけではなく、袁宏の思想や彼の時代の思潮といったものを知る史料としては興味深く有用なので、私の中では、後漢紀は、東晋時代の4世紀の史料という位置づけになりました。もちろん范曄後漢書は更に後の5世紀の著作物ではあるわけですが、少なくとも本紀の明~桓帝時代については後漢書の方がより同時代史料に近💩
solaris