昨年読んだオスマン朝時代のイスタンブル史跡巡り本『物語イスタンブールの歴史』からはじまり、ビザンツ時代のコンスタンティノープル史跡巡り本『ビザンティン建築の謎』ときた首都史跡巡り本を読むシリーズ、今回は古代ローマです。
これまでビザンツに関しては、首都の史跡情報を精査することをしてきませんでした。
1.オスマン時代に新街区に更新されてゆく過程で破壊されつくしてしまっている
2.開発により史跡が発見されても、簡単な調査だけされた後保存されずに破壊
3.調査報告書は現地で少数者にしかゆきわたらなず入手のハードルが高そう(日本でいえば地区の教育委員会などのレベル)
4.破壊を免れたもののうち、既にメジャー史跡として紹介され済のもの以外は、残骸のようなものしか残っていない
5.大都会に残る残骸遺跡の探索は、治安状況に大きく左右され、イスタンブルの場合はハードルが高い
6.労力を注いで調べても益が少ない
7.めぼしい史跡は既に訪問済
等の理由からこれまで手をつけてこなかったのですが、首都の景観復元の観点から、いくらかストレスがたまってきていたこともあり、今回適当な書籍があったことに気づいたため、読んでみたものです。
ストレスとは次のようなものです。
1.ビザンツ時代のコンスタンティノープルの景観復元図や、復元地図なるものがあるが、橋口倫介『中世のコンスタンティノープル』の表紙と裏表紙の内扉にある二枚の地図が細部でかなり異なる部分が多く、解釈に依存する部分が多いのだろうと思われます。そこで双方の地図復元の根拠となった共通の史料出典を知りたくなった
2.『物語イスタンブールの歴史』収録の等高線と標高の記入された地形図を見て、コンスタンティノープルの地形景観を、地上目線で辿って理解したくなった
ローマについても同様です。カピトリヌスとパラティーノの丘以外の残りの五つの丘の名前と、その実際の位置と地形がなかなか頭に入らないストレスがありました。一応数日間とはいえローマはかなり歩いていて、アウレリアヌス城壁もほぼ城壁沿いに一周しているというのに、丘についてはカピトリヌスとパラティーノの丘以外の印象がまったく残っていません。ここ10数年間でローマ帝国の日常生活本がかなり増えてきましたが(こちらのレビューにおおよその一覧を作成してあります)、中には都市ローマの生活風景を詳述しているものも増えてきて、古代の都市ローマのバーチャル旅行ができる本もでてきました。このように冊数を重ねてくると、最近ではさすがに丘の標高や地形をリアルに把握できていないとトリップ感が得られない状況となってきていてストレスを感じるようになっていました。例えば、日常生活ガイドの中で古代のローマを訪れた訪問者が(多くの本ではそのような視点をとって描かれている)アヴェンティーノの丘をうろつく時、どのような景観が見えたのか、などに想像が及ばないと内容に入って行けず、記憶にも残りずらくなります。
また、本によっては、現在に残る、中世以降に建設されたランドマークとなる教会が、古代史跡巡り本の場所の解説に登場したりすることも多く、私はヴァティカン以外中世の教会は訪問していなかったため、教会の場所を言われても即座に位置がイメージできません。これは、中世のローマ市を扱った本を読んでいても感じるストレスでした。そのような薄いストレスが次第に積み重なってきたため、『ビザンティン建築の謎』を読んでいる時に、次はローマに取り掛かろうか、、、と思ったところ、実に絶妙なタイミングで『古代ローマ歴史散歩』が1/27に出版されたため、そのまま古代都市ローマ史跡巡り本に突入した、というわけです。
今回読んだ二冊の本は、古代のローマ市を訪ね歩く仮想旅行ガイドブックとしても、現代のローマ市の史跡巡り案内としても、どちらでも有用な書籍です。また、この二冊を読むにあたって、復元景観の参考にした『地図を旅する永遠の都ローマ物語』(2009年、シャイエ著、西村書店) の特徴も一部把握できたため、併せて紹介文を記載することにしました。
(1)フィリップ・マティザック著『古代ローマ歴史散歩 最盛期の帝国の街並みをたどる』(2026/1/27、原書房)
4世紀末の都ローマ市街を著者の案内のもとに歩き回る本です。
内容の割に無駄に紙質が厚く分厚いハードカバーが多いイメージのある原書房なのでいつもなら図書館に入るのを待つことが多いのですが、今回は即購入。ハードカバーでしたが、276頁ありまあまあの厚さ。ハードカバーなのに価格が抑え気味なのはおそらく、写真はローマ文明博物館にある古代ローマ市の復元模型のみで、地図もなく、史跡本体の紹介では簡単なイラストを用いていることにあると思われます。こういう本を読むひとは、古代ローマの地図が掲載されている本など既に持っているか、或いはネットで検索すればよい、との前提での編集方針だと思われます。合理的です。本書では、地図のかわりに模型の写真上の各ランドマークに記号が付され、写真下に各記号の場所の名称が書かれている程度なのですが、これはこれで地図よりも立体的に景観がイメージできるため、悪くない方針です(ただし写真の東西南北がわかりにくい点は難点ですが、、、)。
私は旅行記の体裁をとった、都市ローマの再現イラスト&遺跡写真集『地図を旅する永遠の都ローマ物語』(2009年、シャイエ著、西村書店)を副読本として参照しつつ読みました。
本書は、在任中の皇帝の名称や政情が一切登場しないため、正確な年号の設定はありません。p6の「はじめに」では「散歩では五世紀のローマの街路を歩く」とありますが、本文中では「4世紀末のローマ」(p4,5)、「4世紀の旅人」(p46)「4世紀のローマの旅人」(p47)、「4世紀の旅」(p66)とありますので、冒頭の5世紀というのは、まだ西ゴート族により首都が脅かされる気配もない安定した時期の400年代初頭のことだと考えれば納得できます。
さて、本書はローマ南東20㎞にあるアルバ・ロンガの街から開始し、アッピア街道を歩いてローマ市に向かい、ローマ市内をうろうろする、という構成となっています。以下目次です。
序 章 壁の外側 アルバヌス丘陵からローマまで
1日目 第8行政区 アウェンティヌスと埠頭
2日目 第2行政区 カエリウスの丘
3日目 第3行政区 コロッセウムからトラヤヌス浴場まで
4日目 第8行政区その1 フォルム・ロマヌム
5日目 第6ならびに第5行政区 ローマの北側の丘
6日目 第8行政区その2 皇帝たちのフォルム
7日目 第9ならびに第11行政区 フラミニウス競技場から家畜市場
8日目 第10行政区 カピトリヌスとパラティヌスの丘
9日目 第14行政区 トランスティベリムとヴァティカン
10日目 カンプス・マルティウス
本文を読んでいるだけではわかりませんが、『地図を旅する永遠の都ローマ物語』の詳細な絵地図をなぞりながら読み進めますと、意外にワープしたり、近くの巨大史跡をスルー(しかし後日ちゃんと訪問とするが)したり、結構な距離をササっと歩いてしまったりする箇所もあり、この本に従いながら実際に現代ローマ観光を行う場合、本の通りのペースで歩くことは難しいと思わされる箇所も多々あるわけですが、私がこれまで読んだ中ではもっとも現実の古代都市ローマ史跡巡り/観光ガイドに近い内容となっているように思えました。この点悪くない本です。
難点といえば、既に記載したように、
・史跡写真がなく、線画のイラストのみ
・地図がない
・結構はしょるところも多い
・多くの書籍で厚く言及されている市街中心部の扱いが多く、あまり具体的な街区の様子が言及されないエクイリヌス、ウィミナリス、クイリナリスの丘についての扱いはやはり薄い(というかクイリナリスとウィミナリスはほとんど言及なし)
というところです。良かった点は、
・読みづらさに配慮し、「はじめに」でローマ暦ではなく西暦を用い、距離の単位も現代のメートル法を利用し、可能な個所では徒歩5分、手の幅、など当時も現代もあまり変わらない尺度法を用いるという解説がある
・各章の本文は4世紀末の世界だが、各章末に数ページ現代のパートがあり、現代史跡巡りガイドが添付されていること
など、当時の景観へのトリップに配慮した作りとなっていて好感が持てます。
多々気づかされた点もありました。例えば、
・セルウィウス旧城壁とその門が市内を区切る大きなランドマークとなっていること。古代ローマ市の景観を実感するにはセルウィウス旧城壁と門の位置を把握しておくことは重要(セルウィウス城壁の図(現在位置とのマップはなし))
・アウレリアヌス城壁の門の名前が古代と現在で違い、本によって古代名、別の本では現代名で言及していたりするため、両方覚えて多くとベター
・公園が多い
・ローマの七丘というのは恣意的な分類で、分け方によってはもっと多数の丘になる。本書ではキスピウスとオッピウス丘への言及が比較的多かった印象がある
・皇帝のフォルムは一般に名君とされる皇帝のものとなっていて、最大のものはトラヤヌスのもの。一般に帝国最盛期とされる皇帝が最大のフォルムを建設していた点は偶然ではないはず(トラヤヌスってやはり武帝という感じがします)
・ハドリアヌスが郊外にティボリを造ったのは、トラヤヌスのフォルムで皇帝のフォルムエリアに空き地がなくなりそれ以上の追加増設が困難となったため。これも帝国の方向性の転換点とも連動していそうに見える
(合わせて読んだ『ローマ古代散歩』のティボリのところでは、ハドリアヌスのティボリは皇帝の別荘というようり、一つの宮殿都市と考えた方が良さそうに思えるようになった)
・丘や低地の標高を把握しておくと地形がイメージしやすい
写真と地図が無いことがマイナスだと感じる読者もいるかも知れませんが、他書やネットを活用することで有用に活用できる書籍となるのではないかと思います。
同じ原書房の住民との会話が随所に登場していましたが、本書では住民と交流はなく、黙って散歩に徹している感じなので、このあたりは読者の好みが分かれるかも知れません。
以下の書籍(や同等の情報を持つWebサイト)などを参照しつつ読むとよりVR歴史散歩感が味わえ効果的だと考える次第です。
『地図を旅する永遠の都ローマ物語』(2009年、シャイエ著、西村書店)
『とんぼの本『ローマ古代散歩』(2009年、小森谷 慶子, 小森谷 賢二著、新潮社)
以下は本書を読みながら気になった、アウレリアヌス城壁の城門について調べることになったため、これについて記載します。
(2)アウレリアヌス城壁の城門一覧表
アウレリアヌス城壁の門に関し、古代名と現在名の対照一覧、及び改廃状況がまとめてある一覧表がみつからないためまとめてみました(AIにも回答してもらいましたが、間違いはなかったものの、すべての門を網羅した回答はありませんでした)。
少し調べてみると、古代の城門だけを史跡訪問したい人向けの情報があまりないことがわかります。例えばよく見つかる情報は次のような感じです。
1.古代の城門だけを書いたリスト → これだと現存の存否がわからず、現在名もわからないので観光情報としては役立たない
2.現在の城門だけを書いたリスト → これだと古代の城門がどれかわからない、現存しない門の場所はわからず、中世以降に建設された城門が混じっていて古代城門だけを訪問する場合には役立たない
3.門として現存していない門(城壁化しているものなど)もなかにはある。こうした門が載っていない現存門リストも多い
4.古代の城門の跡地にルネサンス期等後世に再建/新造された城門がどれかわからない → 古代名の門と現代名の門が別々の門だと思い込んでしまったりして、古代門の遺跡を探してしまい時間が浪費されたりする
5.古代の城門の隣にルネサンス期以降等後世に新設された城門がある場合、現存の可否がわかりにくい。リストをまとめる人が歴史畑の人(古代の城門だけをリスト化する傾向がある)、旅行畑の人(現在の関心から)とでは異なったリスト化をする傾向があるため、例えばルネサンス期に興味のある人は、ルネサンス期に新造された門の名前でリスト化し、古代門に触れないことがある。その逆のケースもある。観光ガイドのサイトを見ると、片方の名前だけ書いているものもある。結局Google MapとStreetで現地状況を確認しないと決定的にはわからないものも幾つかあった
6.Web上の訪問記でも、訪問者の関心が古代/ルネサンスのどちらにあるのかで、名前の書き方が変わるため全体像が把握しにくい。現代名は教会や殉教者ゆかりのものなど宗教関連名も多く、宗教的観点での関心をお持ちの方の情報も現代名となる傾向がある。
7.ひどい記事だと古代名と現代名が混在し、表記に一貫性がないものもある(Wikipediaからしてこういう状態)。従って↓のような表を作成する必要があった
以上のような状況なので、古代名で書かれた情報と現代名が書かれた情報とがまちまちに混在し非常にわかりにくくなっています。日本語での情報の無い門もあります。そこで以下に私が必要だと考える分類・情報を盛り込んだ一覧をつくることにしました(城壁一覧地図はこちらのサイトのものが有用です。ローマ中心部の等高線を知るにはこちらのサイトが有用です)。
| 古代名 | ラテン語名 | 現在名 | 備考 | |
| 現存している古代ローマ時代の城門 | ||||
| ① | ピンチャーナ門 | Porta Pinciana | ピンチャーナ門 | 旧サラリア街道の起点、5世紀建造。Google Mapはこちら |
| ② | ティブルティーナ門 | Porta Tiburtina | サン・ロレンツォ門 | ティブルティーナ街道の起点 |
| ③ | プラエネスティーナ門 | Porta Praenestina | マッジョーレ門 | 52年建設の凱旋門を流用。プラエネスティーナ街道の起点 |
| ④ | アジナリア門 | Porta Asinaria | アジナリア門 | トゥスコラーナ街道の起点、1574年東隣(10m程度東)にサン・ジョバンニ門が建設された。Google Mapはこちら |
| 5 | メトロニア門 | Porta Metronia | メトロニア門 | 塔を持たない、重要な街道も通らない門 |
| 6 | ラティーナ門 | Porta Latina | ラティーナ門 | ラティーナ街道の起点。Google Mapはこちら。北北西800mにメトロニア門 |
| ⑦ | アッピア門 | Porta Appia | サン・セバスティアーノ門 | 旧アッピア街道の起点、城壁博物館として公開。Google Mapはこちら |
| ⑧ | アルデアティーナ門 | Porta Ardeatina | アルデアティーナ門 | Google Mapはこちら、8世紀まで記録にない |
| ⑨ | オスティエンセ門 | Porta Ostiensis | サン・パオロ門 | オスティエンセ街道の起点 |
| 現存せず後世に新造された門 | ||||
| ⑩ | フラミニア門 | Porta Flaminia | ポポロ門 | 1475年旧フラミニア門の跡地に建設、16世紀に再建。中世にはサン・ヴァレンティノ門と呼ばれていた。現ポポロ広場にある。フラミニア街道の起点 |
| 11 | ノメンターナ門 | Porta Nomentana | ピア門 | ノメンターナ門の東70mに再建。ミケランジェロが設計、新ノメンターナ街道の起点。1565年完成。古代ノメンターナ門は ノメンターナ旧街道の起点 |
| 12 | ポルトゥエンシス | Porta Portuensis | ポルテーゼ門 | 以下3つの門はティブル川右岸のトラステヴェレ地区のもの。この門はポルトゥエンシス街道の起点、1644年に再建 |
| 13 | アウレリア門 | Porta Aurelia | サン・パンクラツィオ門 | トラステヴェレ地区、アウレシア街道の起点、6世紀から・近隣の巡礼地殉教者パンクラティウス墓とその教会に因み現名に。何度も損傷・補修・再建され、現在のものはかつての門の北400m付近に1854年に再建。Google Mapはこちら |
| 14 | セプティミアーナ門 | Porta Settimiana | セプティミアーナ門 | 街道に面していない小門、何度も改修・再建され最終的に1643年に大改修。創建当時の場所にある。Google Mapはこちら |
| 現存していない門 | ||||
| ⑮ | サラリア門 | Porta Salaria | 現フィウメ広場 | サラリア街道の起点、1921年に撤去 |
| ⑯ | コルネリア門 | Porta Cornelia/Porta Aurelia-Sancti Petri | 現サンタンジェロ橋のティブル左岸側 | コルネリア街道の起点、5世紀以降ハドリアヌス廟要塞化に伴い改築されアウレリア・聖ペテロ門となる。新アウレリア街道の起点でありヴァティカンのペテロ教会への門であったため |
| 門としては現存していないローマ時代の門 | ||||
| 17 | プラエトリアーナ門 | Porta Praetoriana | ウンベルト1世総合病院とピア門の間にある | 現在は 塞がれて城壁となっている。城門の窓枠が城壁に残っているため場所は推定できる。プラエトリアニの宿営地カストラ・プラエトリアのための古い門 |
| 現存していないローマ時代の城壁 | ||||
| トラステヴェレ地区のアウレリアヌス城壁は、教皇ウルバヌス8世により取り壊され全面新造、古代城壁は現存していない。ウルバヌスが建築したものは現在ではジャニコレンシ城壁と呼ばれる(ジャニコレンシ=ラテン語ではヤニクルムのこと。トラステヴェレのアウレリアヌス城壁は、ヤニクルムの丘を取り囲む形で建設されたため) | ||||
※上記表中、古代の門名或いは現在の名称が太字のもの(〇囲い数字のもの)は訪問したところ(訪問記はこちら)。プラエトリアーナ門の前は通過しているが、城門があるとは知らなかったのでノーカウント。トラステヴェレ地区は近世の再建だったため訪問していない。ピア門も訪問した可能性があるが記憶がはっきりしない。おおむね城壁の2/3を歩いたとの記憶があったが、訪問城壁7、城壁跡地3の計10カ所訪問しているので、全17カ所中10カ所=58.8%となり、おおむね2/3に近い数字となってはいることがわかった。
(3) とんぼの本『ローマ古代散歩』(2009年、小森谷 慶子, 小森谷 賢二著、新潮社)
ローマ市とその近郊の古代ローマ史跡を訪問する人を主な対象としたガイド本です。初版(1998年126ページ)の改訂増補版(141ページ)で、単純にページが追加されているわけではなく、初版出版後に発見された遺跡調査の成果が随所で追加言及されています。見開きサイズの写真はほとんどないため、史跡の見どころを写真でアピールする写真集としては役立ちませんが、逆に細かい写真とはいえ大量の画像があるため情報量はかなり多めです。また観光にも必要な博物館や交通機関、所要時間や距離などの情報にも言及されている箇所も多く、単なる史跡紹介本ではなく、史跡旅行ガイドともなっています。ただし旅行観光ガイドに特化した本ではないため、これ一冊で観光ガイドの代わりとなるわけではありません。ついでに中世やルネサンスの史跡紹介など他の時代を扱うというようなこともなく、写真はあくまで史跡や遺物の情報を伝えるだけのため、観光案内はあくまで史跡訪問だけのため、古代以外の史跡にはふれない、旅行に携帯できるサイズ、などなど、余計な内容に手を出さずに史跡訪問案内という目的一点に徹した内容となっているため、この内容を必要とする読者には、大変有用かつコスパの良い書籍となっているのではないかと考える次第です(逆にいえばルネサンスも近現代ローマの観光施設ももれなく訪問したい読者にとってはそれらガイド本も携帯しなくてはならず荷物が増えてしまうことになりかねない、という面もあるわけですが、、、)。索引は無いのですが、同じ遺跡や遺物が登場しているページを相互に参照できるよう本文中に注記がついているため大変助かります。
そうはいっても他のレビューを拝見しますと、帯に短したすきに長しと、やはり一長一短はあるようです。
そう思って考えてみますと、本書題名の「散歩」とは、実際に読者が、案内の通りに散歩する、という「チュートリアルという意味での散歩」ではなく、「エッセイ的な意味での散歩」との色調が強いように思えます。本書の編集は、通読を目的とした編集ではなく、どこでも好きな箇所を適宜参照する事典型との印象も受けます。この意味で、通読的・チュートリアル的な史跡案内を期待する読者には不足感が出てしまうのではないかという気もします。
もしかしたらチュートリアル的なガイドは観光ガイド側の書籍の方にあるのかもしれません。探してみようと思います。
今回『古代ローマ歴史散歩』と本書を読みながら、自分のローマ史跡訪問でどの程度取りこぼし感が出てくるのか、と思っていましたが、あまりない、という結果となっています(今のところ)。以前訪問した折にあえて外したローマ文明博物館とティボリ、或いは帰国後知ったテルマエ駅のディオクレティアヌス浴場遺跡、元は元老院議員場の扉であったラテラノ教会の青銅の扉、カタコンベなどはいつかは見ておきたいと思っていましたが、当時の現存する青銅扉はパンテオンのものを見てますし、今ではネットでかなりの情報が集まるため、特に取りこぼし感は感じられない状況となっています。実は以前訪問した時もっとも行きたかったのは下町のスブラ地区で、一応そのあたりは歩いた筈なのですが、これぞスブラ!という遺跡は見られなかったので、何かないかと思いながら今回の二冊を読んだのですが、やはりスブラを彷彿とさせる遺跡はないようです。これまでスブラの場所がばくぜんとしかわからなかったのですが、『古代ローマ歴史散歩』でフォルム・アウグストゥスの防火壁の裏、ということがわかり、少しGoogle Streetでぶらついてみました。記憶では、フォルム・アウグストゥスの神殿裏を見るためにぐるりと一周した記憶もあるので、一応スブラ地域に足を踏み入れていたことがわかりました。今のGoogle Streetは主要地域であれば360度対応しているので普通に観光している気分が味わえます。仮想であれ旧スブラ地域観光ができて満足しています。
※細かいことですが『古代ローマ歴史散歩』では、創建時のパンテオンは「おそらく南向き」と記載しているが(p266)、本書は「南向きの矩形プランであったと想像されているが明らかではない」(p73)としています。
(4)『地図を旅する永遠の都ローマ物語』(2009年、西村書店、シャイエ著)
29㎝ x 22㎝の、ほぼA4サイズの書籍です。紀元314年のローマ市全体の俯瞰図を再現カラーイラスト・写真・解説文で描いた書籍です。イラストはとじ込みページ含む見開きの大画面でかなり細かい建築物も識別できるくらいのサイズとなっています。見開きイラストは6枚が3ページからなり訳66㎝ x 22㎝、1枚は80㎝ x 22㎝と見ごたえがあります(更に見開き2頁や1頁半、1頁のものも数枚あり、巻末には80㎝ x 50㎝の大型のローマ市全図イラストがある)。
一応旅行者がローマ市を訪問するスタイルをとっていて、アッピア街道からアッピア門へ入り以下の目次の順序でローマ市内を訪ね歩く構成となっています。
第1章 アッピア街道
第2章 ローマ入城
第3章 カラカラ浴場
第4章 アウェンティヌス丘
第5章 エンポリウム
第6章 カピトリヌス丘
第7章 フォルム
第8章 皇帝のフォルム
第9章 キルクス・マクシムス(大競技場)
第10章 コロッセウム(フラウィウス円形闘技場)
第11章 パラティヌス丘
第12章 スブラと貧民街
第13章 ウェラブルム
第14章 テゥベリーナ島とテヴェレ川
第15章 トラステヴィレ
第16章 クイリナリス丘とウィミナリス丘
第17章 エスクイリヌス丘とカエリウス丘
第18章 カンプス・マルティウス
第2章 ローマ入城
第3章 カラカラ浴場
第4章 アウェンティヌス丘
第5章 エンポリウム
第6章 カピトリヌス丘
第7章 フォルム
第8章 皇帝のフォルム
第9章 キルクス・マクシムス(大競技場)
第10章 コロッセウム(フラウィウス円形闘技場)
第11章 パラティヌス丘
第12章 スブラと貧民街
第13章 ウェラブルム
第14章 テゥベリーナ島とテヴェレ川
第15章 トラステヴィレ
第16章 クイリナリス丘とウィミナリス丘
第17章 エスクイリヌス丘とカエリウス丘
第18章 カンプス・マルティウス
第19章 マルケッルス劇場で
第20章 ローマを去る日
第20章 ローマを去る日
各所を訪れながら、その地区の関連史跡の写真や、その地区の俯瞰図の再現イラストが挟まれながら進行してゆくスタイルです。これまで通読したことはなく、イラストと写真を眺めながら、時折文章部分を参照する、という程度だったのですが、今回『古代ローマ歴史散歩』を読みつつ関連箇所を参照して、大変役に立ちました。
一方、本書の粗も目についてしまうようになりました。例えば以下のような部分です。
①エスクイリヌス、クイリナリス、ウィミナリス丘の扱いは少ない(『古代ローマ歴史散歩』より少ないかも)
②スブラの章の遺跡写真は全部オスティアのもの
地形図を見ると、スブラより北は高度の高い丘となっていて、フォロロマーノやスブラのあたりは20−30m、カピトリーヌとパラティーノは50m程度、エスクイリヌス、ウィミナリス、クイリナリス丘は最高7−80m、フォロ・ロマーノに近いところのクイリアヌスとエスクイリヌスは50m、ウィミナリスはフォロに近いところでも70m程度、住宅地には不向きだということなのではないでしょうか。クイリナリス、ウィミナリスは公園も多いので、もう郊外という感じがします。
全体として、フォロ・ロマーノ、パラティーノ、カピトリーヌが丸の内や霞が関付近、アウェンティヌスが山の手、スブラが下町、カンポ・マルティウスが新市街、クイリナリスとウィミナリス、エスクイリヌスが郊外、中でもエスクイリヌスとカエリヌスあたりが郊外新興開発地、というイメージになってきました。
これまで首都景観の探求はあまり行ってこなかったのですが、これでようやくユウェナリス『諷刺詩集』(岩波文庫)が読める準備ができたように思えます。この本は、これまでローマ日常生活に関する出典確認として部分部分参照することはありましたが、通読する類の本ではないため、完読できないままでいたのですが漸く完読できる段階にきたような気がしています。
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