パキスタンを題材とし、更に古代ペルシアの遺物等が題材として登場するというだけで
レア x レア なのに、どっちもこの二カ月の間に出版されたという、レア三乗ともいうべき小説sです。
(1)マハ・カーン・フィリップス著『ペルシア王女の棺』(2026/3/19、集英社文庫)
珍しいパキスタンを舞台とするパキスタン出身作家のエンタメ作品。検索していて偶然見つけたもの。いかにもイラン関連の歴史モノという題名に興味をそそられあらすじ紹介を見たところ、パキスタンで発見されたミイラの棺だとのこと。今回はネタバレを回避するために、内容紹介はほぼせず、一般読者にとってはどうでもいい、しかし歴史マニアにとっては凄く大事なことを中心に所感を書いています(通販サイト投稿用のまともな紹介文は、記事末尾に掲載してあります)。
まず、思ったのは、いつの時代のペルシア? 次いで、
↓
詰めの甘い作者だと「古代ペルシア」くらい以上に設定を絞りこまず、紀元前1000年から後6世紀くらいまでのどの時代でもいいような適当で曖昧な設定で終わらせる可能性もありそう(まさかと思うが、歴史に一切配慮しない作者の場合、イスラム時代のミイラ、なんて設定もありうる)
↓
どれ、歴史マニアを満足させられる設定なのかどうか、見てやろう
という感じで、まずは「どの時代のペルシアなのか」を調査するために購入しました。
どの時代なのかは、英語で検索をかければ出てくるとは思いましたが、仮に小説がハズレだった場合でも、私の場合「調査する楽しさ」が楽しいので問題ありません。本を読みながら、わくわくして時代を特定する記述に出くわす方が面白いと思うわけです。趣味は娯楽のためにお金と時間をかけるものですから今回は検索なしのロートルな手法をとりました。
で、はじまって最初の10ページくらいでどの時代なのかは直ぐ判明。まあ正道を踏み外さない堅実な設定。
↓
となると次の興味は、この作者、どこまで学術的(歴史学・考古学)リアリティを出せるのかな?となって上から目線で読み進める。
上から目線のポイントは、
懸念点①:
あまりにも作者が学術的知識を勉強し過ぎて詰め込み過ぎると、ミイラは本物になってしまったりして「史料に残っていない実話」の話にしてしまいかねないが、作者がいかに深い学術知を動員して説得力ある設定を作り込もうと、現実にいつの時代のものであろうとペルシア王族のミイラがパキスタンで発見されたこともなく、その可能性を少しでも匂わす史料が存在していないことを踏まえれば、それはローマ時代にアメリカ大陸へ到達した船団の小説を創作するようなもので、逆に説得力がなくなってしまう。というか、そこまでやるなら現代ものの歴史ミステリーではなく、純粋な歴史小説の方が向いているわけで、現代もののミステリーサスペンスにはあまり適した設定とはいえない。さて作者はどのように着地させるつもりだろうか
懸念点②:
逆にあまりにも作者が不勉強だと、そもそも「歴史エンタメミステリー」など名乗れないのだが大丈夫だろうか
というところ。
そうして、上記2つの懸念点が上手にクリアできていた場合には今度は次の内容が関心の対象となってくるわけです。
興味のポイント①:
作者は深く学習しているが、その知識を全力で注ぎ込んで設定を作り込んでいない場合(つまりミイラは本物ではなく、贋作とした場合)でも、「歴史ミステリー」が成り立つ程度には、歴史マニアを満足させる程度の、少なくとも小説に登場する歴史学者や考古学者が「まさか、、、本物???!」と一時的にでも思ってしまうものの、冷静に考えればやはりおかしなところがあるよね、とわかる程度には粗のあるよくできたウソ史料を創作しなくてはならないわけで、これはかなり難易度が高い。作者はどの程度腕が立つのか?
興味のポイント②:
もし贋作と判明するのが物語の最後だとする場合、そこまで嘘設定で引っ張ってしまうと、読者は「ここまで引っ張ったんだからもしや本物かも、との思いもちらついたが、あ~やっぱりね」と落胆する感じで読み終えることになってしまいそう。このあたりも作者はどのように料理してくるのだろうか
などと日本語が読める作者の場合には絶対にかけないような本音駄々洩れで書いていますが、まあそんなことを考えながら読みました。いまこれを書いてても本当に尊大で、何様⁉という感じですが、実際にこうだったのだから仕方ありません。
で、結果はというと、
「ごめんなさい!!!私ごときが偉そうに、、、、身の程知らずでした」
でした。
そもそも小説の紹介文(アマゾンの商品紹介文=本の裏表紙の紹介文)には書いてないのですが、最初の1頁目でミイラの話が出る前に主人公の身内が行方不明になっていることがわかり、失踪した身内の捜索もミステリー主題の一つであることがわかるわけで、本書は歴史ミステリー(ミイラ)と失踪捜索ミステリーの二つの主題が平行して走る物語構成となっています。従って、歴史ミステリーの部分はいい塩梅のところで打ち切って(ざっくりいって半分くらいで)、残りは失踪ミステリーがベースで進む、この配分も絶妙な割り振りに思えました。
史料的によくできている、と思った点の一例をあげますと、
― 古代ペルシアの文章は、定型文の繰り返しやつぎはぎ、事項の並列列挙などが多く、流麗な読みやすい文章というものはないため、ペルシア人自らが残した史料で読みやすい文章が登場してしまうとおかしいわけですが、本書ではミイラを作ったエジプト人が史料を残したということにしてうまく着地しているところなど
よくできた作品だったと思います。楽しめました。基本は社会派ミステリーサスペンスなので、「純正歴史ミステリー」を期待すると期待外れに終わってしまう方もおられるかも知れませんが、個人的には、歴史関連ガジェットを違和感なく埋め込むことに成功している社会派ミステリーだと思う次第です。
ちなみに少し検索すると日本語でもネタとなった実際の事件がある、ということがわかるのですが、私は「事件があった」以上の情報は追求せずに読み、読後検索して元ネタの事件が結構大きな話題となった事件だったと知りました(日本語版Wikipediaにもそこそこ詳しい記事がある)。それによると事件の詳細な調査報告書が公開されたそうなので、作者はそれを参考にしたことがわかりました。まあそうだよね、とは思ったものの、歴史・考古学関連知識のネタを報告書だけで終わらせるのではなく、それ以外の歴史知識もちゃんと勉強しているように見えるので、報告書をうまく消化した、との印象です。
本書に記載のある経歴によると、著者はパキスタン人の女性で、本書の舞台となるカラチ出身で18歳までカラチにいて、その後英国へ移住し修士まででて金融ジャーナリストになったとのこと。従って、欧米でキャリアを積んだリベラルな女性目線でパキスタン社会を描いているため、社会意識、ジェンダー意識などはほとんど日本と変わらないくらい普通に読めます。主人公と、主人公に味方する周辺人物たちには、(私は読んでいないので恐らくですが)これまで日本で紹介されてきた、20世紀のパキスタン小説にあったであろうエキゾチズムはほぼありません。もっとも、日欧米などでは、特に富裕層でない庶民階層でも主人公のような意識を持つ人は普通にいる筈ですが、パキスタンの場合、本書の主人公が、祖父がパキスタン独立時の政府首脳と一緒に記念写真に納まるような富豪の名門であることからわかるように、一部の欧米的教育を受けた階層にまだ偏っている段階であるようには見えます。ただし本書に登場する大学生たちはデジタルネイティブ世代ですから、普通に欧米文化圏に接していて、このあたりはパキスタン都市部の世代変化の実態を反映しているのかも、と思わせられる、社会派小説としての側面も持っていると言えそうです。なお、本書はリベラル一辺倒というわけではなく、作者はリベラル過激派の困った面々も違和感のない文脈でうまく登場させています。
ところで、本書関連で、数日のうちに二つ、珍しい偶然を感じることがありました。
一つは、本書を読み終えた三日後くらいに、今度は新聞の書評コーナーで、またも古代ペルシア関連が登場するパキスタン小説の日本語訳に出くわしたことです。
『すべての石に宿る神 (ハヤカワ・プラス)』、カミーラ・シャムジー (著), 河内 恵子 (翻訳) 、2026/May/1、早川書房)
そもそもレアなパキスタン小説である上に刊行されてまだ日が浅いため、webにも出版社のコピー文のコピペ以外の日本語情報はほとんどなく、ここでもやはり「古代遺物」とあるだけで、どの時代の遺物なのか、歴史マニアにとっては「そこ、大事でしょ」という情報はスルーされています。本書は価格が高いため、英語で検索すると、英語でも「古代ペルシア」は出てくるものの、なかなかどの王朝なのかまでは出てきません、、、、出版界隈の編集者や広報、マーケターにとっては、「古代」であれば十分で、「古代ペルシア」までくればマシな方、「〇〇〇〇朝」まで言及するのはブロガーやSNSだけ、、、という現状がまたしてもわかることになったわけですが、一応どの時代かはわかりました。『ペルシア王女の棺』とほぼ同時代の話です。古代ペルシア帝国のパキスタン地域征服と、帝国主義時代の大英帝国のパキスタン地域征服が重ね合わせられた設定、ということのようです。私は高額なハードカバーの小説はまず読まないし、読むとしても世間で感想が出回ってからじっくり選別して読むか、ネットに感想がなければまず図書館で借りて確認することが殆どなので、他の方の感想が出る前に先人切って購入して読むことは高額な本ほどまずないのですが(高額な本は読後置き場所にも困りますし)、この本は買ってしまいそうです、、、、そうなる前に誰か詳細な感想をネットに上げて欲しいと願う次第です、、、、
二つ目の偶然は、『ペルシア王女の棺』に登場する同じ記載が、翌日から読み始めたミステリー小説『一次元の挿し木』という本に登場していたことです。
この本は、先月読んだ村田沙耶香『世界99』の感想を検索していて知った本なので、『ペルシア王女の棺』とはまったく関係がないのですが、冒頭の方でインドで発見された遺骨のDNA鑑定場面が出てきます。『ペルシア王女の棺』ではパキスタンで発見されたミイラのDNA鑑定が出てきて、骨端の癒合から、「十五歳からニ十歳くらい」の少女だとわかる、との記載が出てきますが、『一次元の挿し木』でも「十五歳からニ十歳の間」の少女だと出てきて驚きました。お蔭で十五歳からニ十歳の少女の骨の癒合という妙な知識が定着してしまいました。
(2)カミーラ・シャムジー 著『すべての石に宿る神』(2026/5/1、早川書房)
昨今ではSNSのおかげで待っていても自動的に情報が得られる時代となっていますが、今回は、検索して小説含む古代イラン関連本を見つけていた2002~5年当時の生活風景などを思い出しながら読みました。
本書の発売は5/1、ほぼ同じ頃3/19に発売された『ペルシア王女の棺』(集英社)と珍しいほど共通点が多々あります。
まず著者がパキスタン出身の女性で、高校生までカラチで学んだ後米国の大学に留学し、MITで修士を取得後英国へ移住したとのことで、女性、カラチで高校生まで過ごす、英米の大学で修士を取得、最終的に英国に在住、現在50歳前後など、ここまでで5点の共通点があります。これはパキスタンのエリートのキャリアアパスの一つということなのかも知れず、珍しい程のことでもないのかも知れません。しかし、小説でも古代イラン関連の内容が主題設定の一つとして扱われており(しかも同じ時代)、主人公は女性考古学者、など共通点が見られます。もしかしたらこれは偶然ではなく、何かそういう潮流があるのかも知れません。パキスタンは歴史的文化圏ではインドに属するものの、イラン高原に勃興した大帝国の辺境領となることが多く、パキスタン人にとってはイランからの攻勢がなんらかのアインデンティティや地域精神に根付いていて、題材に取り上げられやすい、ということかも知れませんし、単に欧米で活躍するパキスタン出身女性エリートのSNSコミュニティ的なところで古代ペルシアの話題が一時的に流行していたのかも知れません。もしこのように単なる偶然ではないとすると、もしかしたら他にも古代イラン関連の小説を書いてくれるパキスタン出身の別の別の女性作家を期待してみてもいいような妄想にも陥ったりしています。
とはいえ、両者作品の傾向は全く違っていて、社会派エンターテイメントど真ん中の『ペルシア王女』とまったく異なり、本書はポストコロニアル文学に分類できるような社会派歴史小説です。ネタバレは避けたいので、どこの時代の古代イランが関係しているのかについては触れないように紹介したいと思います。
本書は1914~15年と1930年の英国植民地時代のパキスタン西部の、アフガニスタンとの国境沿いの辺境古都ペシャワールを舞台とし、支配者英国人社会と現地人社会の様相が描かれ、独立運動のうねりと運動を抑えたい英国側との間の緊張が高まる中で勃発したキッサ・カワニ・バザール(キッサ・ハーニー・バザール/語り部たち通り)での1930年4月23日の虐殺事件(史実)へと至り終結を迎えます。
主人公は、英国人女性考古学者、パシュトゥーン人(パターン人)兄弟の3人で、それぞれ以下のアイデンティティ(属性)と性格を代表する存在として配置されています(以下の分類はあくまで私の判断による分類です。異なった意見を持つ読者もいるでしょうし、これ以外の属性を認める読者もいるだろうと思います)。
英国人女性ヴィヴ 【属性】女性性、キャリア志向女性、帝国(征服者・支配者)側、【性格】冒険、自立、相互理解、異文化理解
カイユーム(兄) 【属性】男性性、英国の肯定的従属者、パターン人、インド人、ナショナリズム 【性格】伝統的、マイルドな家父長的、穏健、内向的
ナジーブ(弟) 【属性】中性的、ペシャワール人(境域的、コスモポリタン的)、【性格】コスモポリタン、異文化理解、開明的、社交的
カイユーム(兄) 【属性】男性性、英国の肯定的従属者、パターン人、インド人、ナショナリズム 【性格】伝統的、マイルドな家父長的、穏健、内向的
ナジーブ(弟) 【属性】中性的、ペシャワール人(境域的、コスモポリタン的)、【性格】コスモポリタン、異文化理解、開明的、社交的
これらアイデンティティは、本人の自覚や自意識とは関係なく、外部から否応なく強制的に付加されるものも含まれています。
この3名に関係する周辺の人々も、上記属性に対して反発する人、伝統的な人など様々な属性を持つ人々が配置され、当時の英国社会と、植民地である英領インド北西辺境地方の社会の多様な諸側面が描かれてゆきます。双方の社会の周辺事情、双方の社会における女性の扱い、英国本国における婦人参政権運動、イギリス軍兵士として従軍しフランスでドイツと戦うこと(特にこれはその意識がなかなか想像しがたいため興味深いところ)、パシュトゥーン人とペシャワール人意識、パシュトゥーン人とインド人意識(当時の現パキスタンはインドの一部として認識されていて、「パキスタン地方」があったわけではない)、ガンディー派(非暴力派)、非ガンディー派(実力行使派)、などさまざまなアイデンティティが交錯する、重層的な内容となっています(とはいえカリーム、ザリーナ、ディーワについては良くわかりませんでした)。
本書の大きな特徴は、英領インド時代のペシャワール及びインダス川流域地方(ざっくりインドといわれているが、おおむね現パキスタンあたりを意味していると思われる)の状況が、古代イランの帝国に征服されつつある時代のペシャワール(当時のカスパテュロス)&インダス川流域地方と重ね合わされ位置づけられ、3人の主人公それぞれが、古代の挿話の登場人物に重ね合わされているのは間違いないとは思うのですが、このあたり、少しわかりずらいところがありました。感想を書きつついいくつか見直してみたところp250‐53のあたりに役割のわりふりのヒントになる記載とも読めるところが見つかり、一応は納得できましたが、異なった印象を受ける読者もいるかも知れません。
実は本書は、書店で最初のページがペルシア帝国時代の短いエピソードから始まっているので、小説の展開途上でところどころ、短い古代イラン帝国の挿話が差しはさまれる程度には、古代イランが登場するのかも、どのくらい登場しているのだろう、と知りたくて購入して読んだものなのですが、まあ、古代イラン、殆ど登場しませんでした、、、、(でしょうね、と心の声)。なので、古代イラン関連本だと煽ってしまうと、それを信じて読んでしまった方の怒りを喚起してしまうこともありうるため、あまり古代イラン云々を声高に喧伝できないのですが、作者は二つの時代を強引に重ね合わせているというよりも、それは寧ろ主人公の一人ナジーブの想いなのだと受け取れば、無理のない設定の範囲でうまく収めた、という気がしなくもありません。
テーマ的に、馴染みのない時代や地域情勢の社会に住んでいる者にとっては、説明不足で読みづらい、と思える部分が多々あり、正直99頁まで「もう挫折しちゃおうかな」と苦しみながら読みました。特に第一次世界大戦中の第二次ヴィーペルの戦いからその後の傷病院のあたりは場面転換や登場人物の立ち位置などがわからず混乱しつつ強引に読み進めることになりました。読む人が読めばわかるのかも知れませんが、私には書き込み不足、説明不足なんじゃ、、、と思えてしまいました。文学とはこういうものなのかも知れませんが、、、、
そうはいっても明らかに読みにくい文章も多々あり、例えば以下のような文については、どうにも読みにくと思うわけなのでした。
「彼はすべての白人は、軍隊にいるあらゆるインド人たちが少なくとも一つの共通言語を持っているように、お互いの言語を理解することができると思い込んでいた」(p73)
この文は、「彼は」「すべての白人は」「軍隊にいるあらゆるインド人たちが」、と述語が登場しないうちに主語が三つ続いていてわかりにくく、次の方がわかりやすいと思うわけです。
「軍隊にいるあらゆるインド人たちが少なくとも一つの共通言語を持っているように、すべての白人はお互いの言語を理解することができるのだと、彼は思いこんでいた」
会話ならまだわかるのですが、これは地の文の部分です。
終わりの方のキッサ・カワニ・バザール事件の描写は、若干南米文学の万華鏡的なところがあり、これからするとヴィーペルの戦いのあたりも意図的文学的な描写なのかも、と思ったりしましたが、南米文学ほどの万華鏡度にまでは達しきれていない、との印象もあります。
現時点ではJPAmazonにも読書メーターにも感想は投稿されておらず、こういう作品こそ第三者の感想や、関係者の解説が知りたいものです。こういう作品ほど、訳者がオンラインで語る会などを開くと良いような気がします。
あと当時のペシャワール地図と登場人物一覧があると良かった。地図は検索したから問題はありませんでしたが、結構レア情報なので日本語や英語の翻字も一定してなかったりして少し手間がかかります。
この手の作品で気になるのが、作者は英国側の視点で書いているのか、パキスタン側に、このように歴史を見ている人がいるのか、という点です。作者が断絶や対立を乗り越えるあり方を作品で追及していることはわかるのですが、それも現地側の主流からするとやはり西洋中心主義とかたずけられてしまうものなのか、理想ではあっても、現地のパキスタン人にも納得してもらえるような視点なのか、この点興味があるところです。個人的に、上の主人公三人の属性リストに整理してみると、帝国=西洋中心主義、インド・パシュトゥーン人=地域ナショナリズム、ペシャワール人=境域的コスモポリタン であり、パキスタン出身で欧米で活躍する著者の立ち位置と重ねれば、著者は西洋と自国の狭間で、境域的コスモポリタンに一応のアイデンティティを置いている人、とも読めなくともありません。
読中苦心しなかなか進まないとの思いが強かったのですが、そういうことかとだいたい(個人的に)納得できた今は読んで良かったと思っています。読みづらい文章と完成度はともかく、ボルヘス的にいえば、「いつか誰かによって書かれることになっていた、あっておかしくない作品」という気までしてきました。この構成はかなりレベルが高いのでは?とまで感じるようになっています。『ペルシア王女の棺』はジェットコースターのようなスピーディーな展開でするする読め、読後スカっとし、息吹きのよく出ている現在のカラチ社会にも興味がわきますが、本書の方は、主役の3人の、本書で語られていない期間の人生や、その後の人生への想像が膨らみ、読後尾をひく作品となっています。良作だと思います。
最後に、本書古代の挿話のベースとなっている史料です(ネタバレを避けるために書名は伏せます)
〇日本語訳がある実在する古代史料の第4巻44章
〇カリストスというビザンツ時代の著者の史料。これはもしかしたらNikephoros Callistus Xanthopoulos(1256‐1335年)のことなのかも知れないのですが、仮にこの人だとしても、当該史料は本書の創作かも知れません。カリストスも、類似の翻字CarystusやKarystosがあるため、Nikephoros Callistus Xanthopoulosだと言い切ることもできません。
余禄:最近私としては珍しく最近の新作(だと思ってみた後確認したら1年前のリリースだったが)SF映画『コンパニオン』を見ました。劇場未公開、配信とDVDのみの日本公開作品(2025年4月)です。しかもなお珍しいことに配信で見たあと気にいってしまったのでdvdも購入してしまいました。最近なんとなく、PKディックの『ペイチェック』みたいな、比較的低予算の小品で、ばんばん宣伝された大作でもなく、洗練された映像で、キレのよい展開、見終わってスカっとするような、事前情報なしに見て予想以上に面白かった!、みたいな近未来を扱ったSF作品見たいな~、と思ってなんとなく検索してたら出くわしたもの。アマゾンレビューに興味を持って、それでも期待はずれに終わることを織り込んで見たところ、スタイリッシュな映像、細かい伏線も効いていて予想以上に面白く、しかも実のところアマゾンレビューでは、SFスリラーとの印象を受けてしまっていたので、SFっぽいスリラーだと思って見ていたら、終わってみるとスリラーではなく、当初私が探していたまさに『ペイチェック』みたいな(私の中ではそのように分類できる)作品となったことで、一気に購入意欲が高まった、というものです。結局『ペイチェク』のdvdも買ってしまいました、、、(更にその後検索したところ、『ペイチェック』の予算は6000万ドル(現1ドル160¥だと96億円)と、低予算ではなかったことがわかりました)。『コンパニオン』の製作品は1000万ドル(約16憶)で、JPYでは高めだけど制作国の米国の物価基準からすると10億円程度の、近年だと小品の範囲だと思うのですが、『ペイチェック』は十分大作だったのには驚きです(今調べたところ、1979年『エイリアン』は1100万ドル、1982年『ブレードランナー』2800万ドル、1997年『コンタクト』9000万ドル、中級クラスの『ウルトラヴァイオレット』(2006年)3000万ドル、2005年『イーオンフラックス』6200万ドル、2002年『リベリオン』2000万ドル、2000年『ザ・ワン』4900万ドル、2014年『ギヴァー 記憶を注ぐ者』2500万ドルですから、『コンパニオン』は小品の方だといえそうです)。
余禄2:
最近のAIは、画像解析もかなり進んでいて、本の表紙の写真を投げるだけで、本の内容紹介をしてくれるレベルで驚いています。画像解析が相当すすんでいることがわかったため、実家の庭の名前のわからない植物除去のために利用することにしました。写真をとってAIに投げて名前を教えてもらっているのですが、ほぼ問題ない解析力となっていて驚きです。「葉を幹の画像もください」など、適したアドバイスもしてくれるため、作業が大幅に効率化しています。企画力やビジネスマインドの高い人にとっては面白い時代になってきていると思います。空気感的には、90年代初頭の、オープン系システムとインターネットの勃興時代の時代と似たものでそれを数倍膨らませたような雰囲気を感じます。当時は、ほぼIT業界内とその周辺くらいに留まっていた雰囲気が、今は一般のビジネス界隈に充満しているような、そんな感じです。面白い時代となってきました。ただ少し心配なのは、AI関連のテレビ報道を見ていると、27,8の社員が、「AIについてはこれからの世代(新卒)に期待」などといっているのを見ると驚くのですが、40台以下の人は全員AIを仕事に全面的に導入すべき世代です。ただの利用者に留まって許されるのは40台後半以上でしょう。若い人が、AIは新卒に任せるなど寝言をいっていると、ガラケー文化が日本経済に大きく打撃を与えたようなことがまた繰り返されてしまうことが懸念されます。そこは少し心配です。それにしても「24時間パソコンを前にして仕事してるんじゃないんだから」などと言い訳にしてメールやICTを嫌がり何がなんでも電話にしたがる医療・介護業界の面々に出くわすことの多いこと。最近では「そんな人はコールセンターにしかいません!皆さん、一般の会社員の仕事を誤って想像しているんじゃありませんか?」「メールは終日パソコンの前で仕事している人のためのものではなく、そういう人を雇わずコストを下げて、各社員が空いた時間で事務作業を効率的に行うために開発・導入されたもので、普段外出の多い人も、2日に一度はメールチェックの時間をつくってまとめて捌くものです。電話のように直ぐでる必要など一切ありません!!!」などと新卒相手にいうような話を50,60の中高年者に頻繁にいう羽目になるとは恐れ入る事態です。
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通販サイト投稿用の紹介・感想文
〇マハ・カーン・フィリップス著『ペルシア王女の棺』(2026/3/19、集英社文庫)
女性パキスタン人著者、主役女性考古学者、舞台はパキスタン、古代イラン関連という点で同時期出版の『すべての石に宿る神』と共通する面白さ。
基本的に肯定的な他の方のレビューやbookmeterの感想と同じなので、ここでは少しマニアックな観点で紹介と感想を書いてみたいと思います。
本書の発売は3/19、ほぼ同じ頃5/1に発売された『すべての石に宿る神』(集英社)と珍しいほど共通点が多々あります。
まず著者がパキスタン出身の女性で、高校生までカラチで学んだ後英国の大学に留学し修士を取得後英国へ移住したとのことで、女性、カラチで高校生まで過ごす、英米の大学で修士を取得、最終的に英国に在住、現在50歳前後など、ここまでで5点の共通点があります。これはパキスタンのエリートのキャリアアパスの一つということなのかも知れず、珍しい程のことでもないのかも知れません。しかし、小説でも古代イラン関連の内容が主題設定の一つとして扱われており(しかも同じ時代)、主人公は女性考古学者、など共通点が見られます。もしかしたらこれは偶然ではなく、何かそういう潮流があるのかも知れません。パキスタンは歴史的文化圏ではインドに属するものの、イラン高原に勃興した大帝国の辺境領となることが多く、パキスタン人にとってはイランからの攻勢がなんらかのアインデンティティや地域精神に根付いていて、題材に取り上げられやすい、ということかも知れませんし、単に欧米で活躍するパキスタン出身女性エリートのSNSコミュニティ的なところで古代ペルシアの話題が一時的に流行していたのかも知れません。もしこのように単なる偶然ではないとすると、もしかしたら他にも古代イラン関連の小説を書いてくれるパキスタン出身の別の別の女性作家を期待してみてもいいような妄想にも陥ったりしています。
ただし、正統派文学だと思われる『すべての石に宿る神』に対して本書は社会派エンタメ作品です。本作は、パキスタンで発見された古代ペルシア帝国の王族だと棺に書かれているミイラの真贋が焦点の一つなのですが、私は特に古代イランに興味があるためフィクションであっても設定を厳しくチェックしてしまう方です。今回も、詰めの甘い作者だと「古代ペルシア」くらい以上に設定を絞りこまず、紀元前1000年から後6世紀くらいまでのどの時代でもいいような適当で曖昧な設定で終わらせる可能性や、まさかと思うが、歴史に一切配慮しない作者の場合、イスラム時代のミイラ、なんて設定もありえるため警戒していましたが、実在の事件の報告書をよく読みこんだ以上に作者はよく勉強しているようで、適度にリアリティのあるバランスのとれた設定になっているように思えました。
作者が創作した史料で、よくできている、と思った点の一例をあげますと、
― 現存する古代ペルシアの文章は、定型文の繰り返しやつぎはぎ、事項の並列列挙などが多く、流麗な読みやすい文章というものはないため、ペルシア人自らが残した史料で読みやすい文章が登場してしまうとおかしいわけですが、本書ではミイラを作ったエジプト人が史料を残したということにしてうまく着地しているところなど
― 現存する古代ペルシアの文章は、定型文の繰り返しやつぎはぎ、事項の並列列挙などが多く、流麗な読みやすい文章というものはないため、ペルシア人自らが残した史料で読みやすい文章が登場してしまうとおかしいわけですが、本書ではミイラを作ったエジプト人が史料を残したということにしてうまく着地しているところなど
小説の出版社紹介文には書いてないのですが、最初の1頁目でミイラの話が出る前に主人公の身内が行方不明になっていることがわかり、失踪した身内の捜索もミステリー主題の一つであることがわかるわけで、本書は歴史ミステリー(ミイラ)と失踪捜索ミステリーの二つの主題が平行して走る物語構成となっています。従って、歴史ミステリーの部分はいい塩梅のところで打ち切って(ざっくりいって半分くらいで)、残りは失踪ミステリーがベースで進む、この配分も絶妙な割り振りに思えました。
著者はパキスタン人の女性で、本書の舞台となるカラチ出身で18歳までカラチにいて、その後英国へ移住し修士まででて金融ジャーナリストになったとのこと。従って、欧米でキャリアを積んだリベラルな女性目線でパキスタン社会を描いているため、社会意識、ジェンダー意識などはほとんど日本と変わらないくらい普通に読めます。主人公と、主人公に味方する周辺人物たちには、(私は読んでいないので恐らくですが)これまで日本で紹介されてきた、20世紀のパキスタン小説にあったであろうエキゾチズムはほぼありません。もっとも、日欧米などでは、特に富裕層でない庶民階層でも主人公のような意識を持つ人は普通にいる筈ですが、パキスタンの場合、本書の主人公が、祖父がパキスタン独立時の政府首脳と一緒に記念写真に納まるような富豪の名門であることからわかるように、一部の欧米的教育を受けた階層にまだ偏っている段階であるようには見えます。ただし本書に登場する大学生たちはデジタルネイティブ世代ですから、普通に欧米文化圏に接していて、このあたりはパキスタン都市部の世代変化の実態を反映しているのかも、と思わせられる、社会派小説としての側面も持っていると言えそうです。なお、本書はリベラル一辺倒というわけではなく、作者はリベラル過激派の困った面々も違和感のない文脈でうまく登場させています。
よくできた作品だったと思います。楽しめました。基本は社会派ミステリーサスペンスなので、「純正歴史ミステリー」を期待すると期待外れに終わってしまう方もおられるかも知れませんが、個人的には、歴史関連ガジェットを違和感なく埋め込むことに成功している社会派ミステリーだと思う次第です。
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