妙な文を書いてしまった。しかもブログに公開までしようとしている。でも、たまにはいいように思う
今日は人生最良の日の一つだ。母と北の丘にあるパン屋に行ってこれた。今日の母はまったく億劫になることがなく、すぐに行く気になってくれた。外出を嫌がる母が、最初は恥ずかしいと渋っていた母が、車椅子のおかげで前向きになれたのだろうか
昨日の湿気は今日はなくとてもさわやかで、少し風が強いが高気圧がはりだし雲一つない青空。私が好きだった地中海の小高い地域に近いカラっとした天気。日差しが強いので車椅子の母は日傘をかざす。
一つ北にある丘の上のパン屋さんまで。丘を下る坂は少し怖いのでバス。13時15分頃家をでて、本数の少ない住宅地内の最寄りのバス停をスルーし、大通りのバス停についた直後に住宅地のバスが少し先の路地から出てきて去って行った。失敗。気を取り直して8分待ってバスに乗り、二つ先のバス停で下車。そこから別路線のバス停まで車椅子。バスは1時間近く来ないことがわかったのでそのまま車椅子を押して北の丘の坂を登る。丘の勾配は気にならなかったけれど、歩道が車道側へ大きく傾斜していて怖かった。油断してると傾斜に促され車道に出てしまいそうになる。これは危ない。
出がけにGoogle Mapで見るとバス停から800メートルくらい。1キロもない、いける筈
10分程蛇行する坂を上りきるとふいに視界が開けてパン屋さんが見えた
母がパン屋に来るのはいつぶりだろう。パン屋どころかコロナ以降は通院以外の外出はなかった筈だ。無事連れて来れて良かった
パン屋は広いとはいえない店内だけれど種類は豊富。まずは店内を一周。とりどりのパンを紹介。二週目でトレイに選ぶ。持ち帰り分含めて三食分くらいになった。会計をすませてテラス席に行くときにお店の前にあるバス停の時刻表を調べに寄ると、ちょうどバスが来た。次のバスは1時間後とある。ちょうどいいくらいだ。
風がさわやかで気持ちいい。お腹が張っているのであまり食べれない、といっていた母は、少しづつちぎっていつの間にか結構な量を食べている。追加のパンをいくつか求めに店内に戻る。少し時間が余るかもと思っていたが、母は隣に座った二人の赤子とその母親に話しかけている
「おいくつ?」「1歳と生まれたばかりです」
「そう。かわいいわね」「ありがとうございます」
「おいくつ?」「1歳と生まれたばかりです……」
たすけ舟を出す
「母は記憶が…」
その後母は、一つ南の丘の住宅地に越してきた頃の記憶を話し出す
「今はすっかり住宅が建て込んでしまって、変わったわねえ。昔はこのあたりは何もなかったのに」
90歳以上年下の、いずれ22世紀を生きる今は赤子の未来人に向けて何度も何度も同じ話を繰り返す
帰りは坂を下るので途中までバス。車道側に傾斜している歩道を下るのは少し怖い。はじめてバスに車いすを持ち込んだ時は、運転手さんに嫌な顔をされるのかもと不安があったけれど皆、気を配ってくれるのがわかる。通勤時間帯だったらこうはいかないだろうけれども、少しの親切がとてもうれしい。
乗り換えバス停で下車。ここからの上りの坂は、通院のとき車椅子で登っているので問題ない。ただし少し遠回りになるけれど、起伏のない広い道路の歩道をいくことにする。
外出して少し歩いたためか、母は、今日の夕食はあまり残さなかった。しっかり食べてくれた。よかった
夕食後、今日のパン屋行の話をしてみた
母は覚えていた。
今日は母と喧嘩をしないですんだ。
なんてことのない一日
なんてことのない一日の筈なのに
たったこれだけのことなのに、今日という日がなぜこんなに嬉しいのか
たったこれだけのことなのに、なぜこんなに哀しいのか
たったこれだけのことなのに、この一日がどうしてか他の日とまったく違う、かけがえのない輝かしい一日に思えてならず、気付いたらこんな文章を書いていた。
こんなこと、たったこれくらいのこと、これくらいのことならこの先も、同じような日に、同じように過ごすことができる機会はまだある、その時間はある筈なのに。でも今日のような心持になれる日になるだろうか、と思う。
考えてみると、こんな風に母と過ごしたことは、これまで一度もなかった気がする。そもそも母と二人で外出したことなど通院のつきそい以外では四度くらいしか記憶にない。その四度も、母の自己満足を私に押し付けるために振り回された印象しかない。こう書いてみると、父よりはましだったかも知れない。父と二人で外出したことは一度もなく、新宿で待ち合わせて居酒屋で飲んだことが一度ある切だ。しかもそれはその当時父が考えていた父の老後の方針の伝達であって、一度しかないことだから記憶に残っているものの、何か良い一日だったという印象はまるでない。
だから今日が、今日は人生最良の日の一つとして記憶の刻まれる日になりそうな感じが強くするのは、そういうことなのかも、と思う。母と、なんてことのないお天気で、気候もよく、平穏で、いがみあうこともない、そんな外出をしてみたかった、ということなのかも知れない
ただそれも、終わりが見えてはじめてそういう外出がしてみたくなった、ということなのかも知れないとは思う。実際、偶然そのパン屋を見つけてから、母を連れて行きたくなっていたのだから。あまり意識はしていなかったが、どうしても連れて行きたくなっていたのだと、今は思う
大事なもの、貴重なこと、自分にとって価値のあることが、終わりが見えてはじめて実感されるということはあるのかもしれず、今日のことはそういうことなのかも知れない、と思う。そうなる前はそれが何かはわからない。予想できない。なぜそれがそうなのか、よくわからない。ふいに来る。ただ今日が、そういう日だったのかも知れないと思う。
自家用車の導入ではなく、車椅子にして良かったと思う。車だったら、こんな風に母と会話しながらゆったり過ごすことはできなかったかも知れない
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